この本を読んだ時点では、オールブラックスは「常勝」のチームではない。
7〜8月にかけて行われた、テストマッチや国際大会では、24年ぶりの連敗を含む5勝4敗。ホームで迎え撃ったアイルランドには1勝2敗と負け越し、南アフリカとは1勝1敗だったものの、負けた試合はFWが後手後手に回った完敗。アルゼンチンに2年ぶり二度目となる白星を献上した試合も、反則の繰り返しで、自ら相手に流れを渡してしまった。
ブレディスローカップでは、永遠のライバル豪州に2連勝して、ようやく7〜8月の一連の国際試合の勝ち越しを決めたが、「勝つのが当たり前」という圧倒的な強さを誇り、世界王者に君臨していた面影が感じられない。勝ったり負けたりを繰り返す「普通の強豪国」になってしまった感がある。
そうでなくても、オールブラックスは「W杯だけはなぜか勝てない」と評されてきた。世界各国の協会全てに勝ち越しているチームにしては、9回のW杯のうち3回しか制していないというのは確かに少ない。ただし、これはオールブラックスに原因があるというよりも、W杯という場がどの強豪国にとっても特別にタフな場であることに起因すると本文中に述べられている。1ヶ月の間にトップレベルの試合を最大7試合も行うスケジュールや、一発勝負の決勝トーナメント戦におけるチーム状態のマネジメントは確かに難しいだろう。なお、この書の出版された2011年8月の時点では、まだオールブラックスは1回しか優勝しておらず、それぞれ2回優勝した豪州、南アフリカの後塵を拝する状態だった。2011年、2015年と連覇したことで、最多優勝数記録を保持する国に躍り出たが、2019年の大会で、あっさりと南アフリカに並ばれてしまった。
W杯で優勝することの難しさは、決勝トーナメントでオールブラックスに勝利したチームのうち、優勝したことがあるのは第2回大会の準決勝で勝利した豪州と第3回の決勝で戦った南アフリカのみであるという事実が物語っている。オールブラックスと戦うチームは、その戦いにチームとしてのピークを持ってきた結果として、オールブラックス戦以降は一気にエネルギーを使い果たしてしまったかのように失速するのだ。逆にいうと、毎試合毎試合、ピークの状態のトップチームとばかり対戦するオールブラックスは常に最大の試練を迎えていることになる。優勝3回の価値というのは、単なる数字以上に重いのかも知れない。
さて、2011年当時、オールブラックスはW杯の場以外では圧倒的な強さを誇っていた。
試合前のハカで敵地のスタジアムの観衆すら味方につけてしまい、まず敵チームに「威圧感」を与える。
試合開始後は、フィジカルの強さとその強さを継続させるフイットネスの高さを継続し、質の高い攻撃を繰り返すと共に、相手のミスは着実に得点に結びつける試合運びで、早い時間帯で圧倒的な点差をつけてしまう。
大量の点差をつけてしまった後は、勝負しに来ざるを得ない、従ってミスが発生する確率の高いプレーを仕掛けてくる相手を待ち構えておいて、冷静に防御しておいてからの逆襲でますます点差を広げ、ついには相手の心を折る。実際の試合の時のみならず、後々の対戦の際にも相手チームの選手にトラウマを呼び起こさせるような勝ち方をしていたものだ。
我がジャパンなどは、1995年のブルームフォンテンの悲劇のトラウマからいまだに脱しきれていない。このトラウマはオールブラックスに勝利することでしか消せないと思う。アルゼンチンとの第一試合に負けた際のオールブラックスになら付け入る隙は多々あると感じられたが、さすがにそこは王国の底力。豪州に二連勝した際は見事にその隙が無くなっていた。まだまだ彼我の差は大きい。
とはいうものの、世界のトップチームは確実にオールブラックスにキャッチアップしている。世界的に人材の流動化が高まり、英連邦に移住する豪州出身者やNZ出身者が増えたことも影響している。しかし、それ以上に各国がオールブラックスに勝って、かつ、W杯に優勝するための戦略をしっかり練ってきている。そしてその戦略を実行するために若い選手を育成し、修練を積んできている。たとえば、現在のフランスの主力となっているのは2018年のワールドユースで優勝した選手たちだ。
いかにラグビーが国技で、生まれた時にはすでに楕円球とグラウンドが目の前にあるような環境下のニュージーランドであっても、戦略をしっかり練った上で、その戦略を実行しうるフィジカルと技術を持った選手を本格的に育成してくる強豪国に勝ち続けるのは難しい。裾野の広さだけを頼りに、選抜されてきた優れた選手たちの「個人技」を組み合わせるだけでは勝てなくなっている。そのことを端的に示したのが直近の9試合だったのだ。
果たして来年の本番にオールブラックスがどんなチームを仕上げて参戦してくるのか?ジャパンの健闘を祈る気持ちとは、また別の次元の問題として、注目したい。