脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記54

いつの間にやら9月に入っていた。ここのところ、珍しく、会社の仕事が「本当に」忙しかったので、自らの中では「本業」と位置付けているはずの駄文書きの方にまで振り向けるエネルギーがなく、随分とご無沙汰してしまった。

 

エネルギーが不足していた原因は他にもある。眼の痛みだ。肥満のため逆さまつ毛が発生し、眼球を傷つけ、そこが炎症を起こし、痛みと充血が起こる。これまでにも数ヶ月に一度くらいの割合で発生してはいた。医者に行って目薬をもらって、二三日それを点眼していれば自然と消えていったのだが、今回は痛み、充血ともに過去に例を見ないほど重篤だったし、発生から一週間たった今現在でも、軽い痛みと、広範囲な充血は残っている。原因として考えられるのは、ここのところハマっていたタブレットのゲームだろう。光の刺激もよくないし、狭い範囲を注視し、目まぐるしく細かい動きを要求されるという状態をかなりの長期間要求されてきたから、さしもの眼球も勤続疲労を起こしたということだろう。実際に懲りずにゲームをやっているといつまで経っても痛みが引かなかった。ここ数日、せいぜい、仕事の息抜き程度に抑えていたら、かなり痛みがなくなった。目が不自由だと、いろんな面で煩わしさが増す。今後はゲームに振り向ける時間をもっと生産的な時間に充てよう。差しあたっては、光刺激の少ない、「紙の本」を読むことに注力しようか。

というわけで、先週目医者に言ったのだが、その帰りに寄ったスーパーでちょっとモヤモヤした事が二件。

 

そのスーパーは規模がかなり大きく、かなり前からセルフレジを導入していた。私は、この店では常にセルフレジを利用している。

このご時世なので、セルフレジにもソーシャルディスタンスを保ったまま並ぶ。セルフレジは数個設置してあり、セルフレジスペースに入るまで、私の前にはあと一人、と迫った時のオハナシだ。列ができているのとは別方向から一人のオバはんがカートを押してやってきた。そして、レジスペース直前で並んでいる人の、私の方から見たら横に止まったのだ。ん?このオバはんなんだか怪しいぞ、と思っていた刹那、レジが一つあき、待機中の一人がレジスペースに進んだ。そのオバはんは当然、って顔をして、ウエイティングスペースに入ってこようとした。私は無言で腕を突き出して静止すると、少々ムッとしているオバはんに私の後ろを指さした。そこには数組の客が並んでいたので、オバはん列ができているということを理解したようで、ムッとした表情を貼り付けたまま、売り場に戻っていった。夕刻の混み合う時間だったので、列はできていて当たり前。今のご時世なんだから、なるべく人と距離をとって並ぶというのも「常識」。ラッキー、空いてる!とか思う前に、列を確認しろっての。

 

で、レジスペースに入ってからもう一つ。レジ脇にたまった買い物かごを移動させるためにチョコマカ動き回っているおじさんパートが一人。このおじさんが動き回っていたことにより、私はしばらくレジまで進めなかった。ここで「すみません」の一言でもあれば全然問題なかったが、このおじさんは「何こんなところに突っ立ってやがんだ」的なガンまで飛ばしてきた。場内の整理整頓が主な仕事であるとはいえ、店という場に出るということは、このおじさんも接客業の一員であるはずだ。接客業に携わる人間が、小さなことであるとはいえ、客の不快感を察する事ができない上に、あまつさえ、客を咎めるような態度を取るとは何事か?このスーパーは数年前から世界的な大手小売業の参加に入っているが、経営不振から脱却できず、その大手小売業が売却を考えているというようなニュースがちょっと前に流れた。経営が振るわない原因はこういう小さなミスの積み重ねにあるのではないだろうか?プロ野球などではよく「記録に出ないエラー」などという言い方をするが、こうした、記録には残らないけれど、確実に客の心には残る不快感というのは、その後目に見える失点となって返って来る。私が遭遇したのはほんの一例だが、いろんな場面、場所で様々にエラーは発生しているはずで、売上不振という失点の一因になっているはずである。

改めて人間関係って難しい『影裏』鑑賞記

 

影裏(通常版) [Blu-ray]

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  • 発売日: 2020/08/05
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  沼田真佑氏の芥川賞受賞作である同名小説の映画化作品。原作を読んでいないこともあるし、キャストの顔ぶれを考えても、私自身は貸しDVD屋の店頭では絶対に手に取らない作品だが、綾野剛好きの最高権力者様が借りてきたものを、隣でご相伴に預かった。

 

物語は製薬会社に勤める今野秋一(綾野剛)が主人公。秋一は転勤で物語の舞台となる岩手に引っ越してきたばかりで、会社の中にも、近所にも親しい人間がいないという設定。自分から人間関係を開拓していくことには消極的だというキャラクターも付与されている。

 

秋一が禁煙場所での喫煙を咎めた事がきっかけで、親しくなり、一緒に家飲みしたり、釣りに行くことになるのが、日浅典博(松田龍平)。この二人の日常の交流を描く事で物語が進んでいく。この二人が特別バカなことばかりやりまくるというコミカルな展開でもなければ、30前後の男二人の日常生活をただ描写してもつまらない。当然、シリアスな盛り上がりが描かれる。日浅にとっては、秋一は単なる気の合う同僚兼友人だったが、秋一にとっては日浅は恋愛対象。開始早々、綾野剛のすね毛の一本もない変に女性っぽい脚が映されたり、パンツ一丁で行動する様が描かれたりするので、そういう展開を狙っているのかと思ったら、思いっきりその予想が当たってしまった。

 

ある日の家飲みの際、秋一の家に泊まっていた日浅に秋一は衝動的に「襲いかかって」しまう。そんな気の全くない日浅は秋一の襲撃を撃退するのだが、そこから二人の関係はギクシャクし…、というようにお話は進行していく。無理やりストーリーを深読みすれば、これはあらゆる人間関係に当てはまるトラブルだといえよう。一方が思っていることと、他方が感じていることが実は全く違う。恋愛関係に発展する前の男女の言葉のやりとりから、会社の仕事における指示の内容と実行者の実施内容が食い違うような事例に至るまで、ある人間の考えていることを他の人間が完全に理解することは難しい。一方をセクシャルマイノリティーにする事である意味非常にわかりやすく、同じ風景を見ているつもりで、実は全く違う思いをお互いに抱いていたという姿が描かれる。

 

そして日浅は製薬会社を辞め、別の会社に就職するのだが、営業職として釜石に赴いている時に東日本大震災に遭遇し、行方不明に。秋一は日浅の姿を探し求めて、必死の思いで、日浅の父親に日浅の捜索願を出すように依頼するが、そこで父から「息子とは義絶している」という言葉を突きつけられる。理由は日浅の嘘。彼は大学に入学、通学していたという嘘をつき続けて、学費その他仕送りを全て着服した上、様々なトラブルの尻拭いを全て父親に押し付けていたため、堪忍袋の尾が切れた父親は日浅を他人にしてしまったのだ。ここでは、人には様々な姿があり、全ての姿を完全に把握するのは不可能だという事実が秋一にも観衆である我々にも突きつけられる。

 

自分の思いは、正しく伝わらないし、他人の姿もまた正しくは捉えきれない。いやはや。社会的動物として他人と共存していかなければならない人間とは、難しい生き方をしなければならないということを、考えさせられた作品だった。お互いの勘違いをうまくリンクさせていくしかないんだろうね…。

 

 

支離鬱々日記53

世は「お盆明け」。長期の夏休みを取らなかったことに加え、在宅勤務を続けているせいか、例年に比べて「また日常が始まる」という緊張感も憂鬱感も私自身にはないが、本格的に仕事に復帰した方も多いだろう。命の危険にさらされるほどの猛烈な高温が各地で観測されているが、この暑さでも死に絶えないコロナウイルスが、秋冬に向けて何度目かの猛威を振るいそうで、例年とは違う憂鬱さを感じざるを得ない。世界各国でも感染拡大が収まらない。事実上「2020東京オリンピック」は消滅したと言わざるを得ないだろう。経済云々ももちろん大切だし、準備にかけたコストが丸損になってしまうのは日本国民として残念な限りだが、ウイルスの勢いを止めないことには「普通」の国際的な往来すら制限されてしまうのだから、世界各地から多種多様な人々が集結するようなイベントなんぞ、もってのほかとしか言いようがない。せっかく女子の七人制ラグビーの決勝チケット当選してたんだけどなぁ…。

 

上述の通り、長期の夏休みは取らなかったが、8/17(月)に1日だけ休みを取って、久しぶりに郊外のアウトレットモールに買い物に出かけた。そのものずばりのお盆を外したし、コロナの影響もあったしで来客数は休日の訪問時の半分以下。ソーシャルディスタンスを保ったまま、非常に快適に買い物ができた。店に入るために手を消毒しなければならなかったため、手の皮膚がカサカサになってはしまったが(苦笑)。

 

7月からスーパー、コンビニでレジ袋が有料化されたが、アウトレットのショップにもその有料化の波は押し寄せていた。とはいえ、レジ袋が有料と言われた店は半数ほどで、ビニール製をやめて紙製の袋に入れてくれる店もあった。通信販売で買っておいたエコバッグを持参していたので、余分な金は使わずに済んだ。

 

ビニール製レジ袋が有料化されるのは世の流れとしては仕方のないところだろう。ニュース番組でインドネシアの海中にクラゲのように乱舞するビニール袋の大群の映像を見せられて、ゾッとして以来、私はレジ袋削減賛成派である。通勤用のカバンにはやや大きすぎるくらいのエコバッグを常に入れているし、コンビニでの買い物の際には家にあったレジ袋を繰り返し使用することにしている。エコバッグ万引きなどの「副作用」はあるものの、このムーヴメントが生活様式の一つとして「定着」していくことを願いたい。

 

ただしひねくれ者の私としては二つの点でちょこっとツッコミを入れておきたい。

 

一つは、買い手の利便性の低下と、売り手の経費削減という非常に難しい課題に「環境問題の解決策の一つ」というお墨付きを与えてしまったことである。今後、このお墨付きの範囲が変な方向に拡大解釈されていかないよう、注意深く見続けていくことは必要だ。そのうちビニール製のものは全て×で、商品は全て油紙にでも包んで渡されるなどという事態が出来するのかもしれない。もっと進んで、CO2排出削減のため、自動車での来店はまかりならぬ(企業にとっては駐車場を用意しなくて済むという利点あり)などということにもなりかねない。

 

もう一つは、今までビニール製の袋を作ることで生計をててていた人々への打撃である。以前の仕事で、ビニール製のレジ袋を専門に製造、販売している企業と取引する機会があったのだが、あの企業は今頃どのような策で生き残ろうとしているのだろうか?政治や経済、大衆の意識の変化によって、一つの制度が崩れる際には、その陰で泣く人々が、必ず一定数存在する。

しかもそうした人々は大抵マイノリティーで、世間の多数派の声に押されて反論もできないという状態に置かれているのだ。「そういう苦難を乗り越えるのが企業経営というもの」というド正論はあるにせよ、そうそう簡単に変化できないというのが実情だろう。今はコロナのドタバタで、とてもそんな一部分にかか煩っている状況にない、というのは言い訳に過ぎない。こういう時こそ、危機的状況にある人々に即効性のある対策を講じるのが行政の役割だろうと思うのだが、トップにいる方の今の最大の関心事は自身の健康問題だろう。個人的には同情申し上げるが、だからと言って先延ばしにして良い問題でもない。権限移譲でもなんでもして、しっかりコトに当たれる人物きちんと対応させるよう手を打つくらいはして欲しいものだ。

支離鬱々日記52

今朝いきなり、スマートウォッチのバイブ機能が作動した。携帯に着電の合図だ。出てみると、郷里の再従弟から。どうも私の実母の状態がおかしいらしい。「少しボケが進んでるように見えるよ」との言。コロナ禍のせいで、ここ数ヶ月県を跨いでの移動が憚られたため、帰省していなかったので、電話で短時間会話したのみ。心配ではあっても、もしウイルスを持ち込んでしまったら…という不安の方が先にたって、直接会いには行けなかった。もう80に近い歳だし、近しい人物から実体験に基づく「レポート」の信憑性は高い。

 

再従弟との電話を終えた後、早速実家に電話。声は元気そうだったが、こういう病は、自分の自覚とは別の次元で進んでいくものだし、カラダの元気さと連動したものでもない。とにかく来週早々にも、まず、かかりつけの医者を受診することを約束させた。これを機にもう少し電話の頻度を増やしていこうと思う。以前に在宅勤務の快適さと、通勤の頻度の問題で、実家からの通勤もいいな、と漠然と考えてはいたのだが、にわかに現実味を帯びてきた。

 

ワイドショーで紹介されたことで、某宅配業者配達員の当て逃げ事件が大きな話題になっている。この宅配業者は登録してある個人事業主としての配達員に業務を委託するという形態をとっており、何か問題があった場合はあくまでも個人事業主としての配達員が責任を負うことになっている。そのため、配達が遅れて受け取りを拒否された料理を不法廃棄したり、交通法規を無視した危険な運転などが度々問題視されてきていたが、今回の件は特に酷い。

 

配達員に当て逃げされた自動車の持ち主が、運営会社に連絡を取ったら「ドライバーのフルネーム、電話番号、配達の注文番号など詳細が確認されないと、該当の配達パートナーを特定できかねます」という」返信が来たとのこと。アホか?この被害者は、自分でこのサービスを利用していたわけではないのだから、ドライバーの名前も配達の注文番号も知る由がないのだ。アメリカ由来のこの運営会社は、おそらくトラブル対応をマニュアル化してあったのだろうと思うが、マニュアルに忠実なあまり一般常識を完全に逸脱した対応になっている。トラブル対応にあたる部署の人間は、そもそもこの被害者が送信したメールに目を通していたのだろうか?「普通」の人間なら、こんなマニュアル通りの対応など取らないはずだし、メールの内容を読んだ上での対応だとするなら対応者の知能を疑わざるを得ない状態だ。トラブル対応の部署に知能の低い(少なくとも一般常識を弁えていない)人間を配している企業を信用することなど到底できない。

 

まずこの企業は、各配達員が背負っていることの多い、黒い大きなバッグに配達員のIDコードなり名前なりを企業ロゴより大きく表示させるべきだろう。個人事業主のプライバシー云々の問題もあろうとは思うが、トラブル回避、トラブル発生時の迅速なトレースのためには必要不可欠な処置であると私は思う。真面目に頑張っている配達員の方が絶対多数であることは重々承知しているし、今のご時世ではこのサービスが生活に必要不可欠だという家庭も少なくないだろう。だが、どこにでも不祥事を起こす人物は潜んでいるし、トラブルのタネも潜んでいる。私自身は、この企業が迅速なトラブル解決につながる策を講じない限りはこの企業のサービスを利用するつもりはない。

 

ネット記事を渉猟していたら、こんな記事にぶつかった。啓光学園(現常翔啓光学園ラグビー部に関するものである。

 

記事にもあるとおり、啓光学園ラグビー部は2001年度からの4連覇を含め、高校日本一に7度も輝く、高校ラグビーの名門校であった。佐々木隆道、金正奎など数々の名選手を輩出してきたという歴史もある。その名門校は今、他校との合同チームでないと大会に出場できない状態であるというのだ。強かった当時とは経営母体が変わり、同じ系列校で現在でも花園の常連校である常翔学園(旧名大工大高)に「高校でラグビーをやろう」という志向を持った生徒が流れているということもある。私は飲み屋などで「啓光学園は常翔の文字がついてから常勝ではなくなった」などと下手な駄洒落を飛ばしていたが、現実に常啓光学園は常勝どころか、試合場にすら登場できないような状態になってしまっていたのだ。

 

ラグビー親父が昔を懐かしむのは簡単だし、その昔話から「やっぱり啓光学園は強いチームであって欲しいよな」などという結論を導き出すのも簡単だ。一方で、学校の経営者、指導者は簡単に「じゃもう一度強くしましょう」とはいえないのも事実。元々は啓光学園単独で学校経営が成り立っていたのに常翔学園グループの系列に入ったということは、経営の苦しさを物語る。つまり、私立校であるとはいえ、近隣に前述の常翔学園はじめ、東海大仰星大阪桐蔭など強豪校がひしめき合っている中で、「人集め」にかけられる原資は乏しいということが想像される。W杯におけるジャパンの躍進で空前のラグビーブームが訪れてはいるものの、ラグビーは3kスポーツの代表格で、「ラグビー抜き」入学してきた一般の生徒が、自分でプレーするという決断を下すまでのハードルは決して低くない。

 

そんな苦しい環境の中で、「啓光学園ラグビーを続けてきた」生徒たちの思いは熱い。過去は過去として尊重するが、自分たちは自分たちなりの思いで、目の前の課題に、敵にぶつかってきた体験と、練習に費やした日々、仲間との絆はきっとどこかで、それぞれの生徒の人生に力を与えてくれるはずだ。そう私が信じたい(笑)。

 

支離鬱々日記51

本日は8/10(月)。カレンダー的には3連休の最終日だが、今週からお盆休みってやつに突入する人は多いだろう。今年はコロナ禍で身動きが取れない方も多いと思うが、この時期じゃなきゃ休みが取れないって方も多々いるのだと思う。何だかんだいってもまだまだ横並び意識の強い日本社会故、例年に比べ緩やかになっているとはいっても、お盆時期への夏休み取得集中傾向はまだまだ強いように思う。こういう時こそ、各人が思い切って思い思いの時期に休みを取るということのテストを行ってみれば良いと思うのだが、まだまだ、従来の「常識」ってやつに縛られているお年寄りは多いだろうし、そのお年寄りたちの意向を忖度した同調圧力ってやつも根強くあるように思う。もう一世代、二世代経ないと思い切った制度改革には繋がらないのかもしれない。

 

半沢直樹』の快進撃が続いている。視聴率も高いし、視聴後もネットで話題にされているようだ。当家も定番視聴番組として毎週観ている。

 

このドラマの人気の秘密はいろいろあると思うが、その一つは役柄のわかりやすさにあると思う。出演者に歌舞伎役者が多いこともあるが、特に敵役の顔芸が見事にシーンにハマっている。市川猿之助演じる伊佐山、香川照之演じる大和田、片岡愛之助演じる黒崎の三大敵役はもとより、裏切り者の諸田を演じた池田成志、さらに卑屈な日和見主義者三木の角田晃広、ワンマンなIT企業経営者瀬名の尾上松也、ヒステリックで高飛車な女経営者平山美幸を演じた南野陽子など、テレビ桟敷からではあるが「澤瀉屋」とか『音羽屋」とか掛け声の一つもかけたくなるような、見事な見せ場の数々を作り上げてくれている。場面場面で、敵味方のコントラストが歌舞伎の隈取りメイク同様くどいまでにはっきりと区切られ、半沢はあくまで正義の味方として力強く、敵役はあくまで憎々しい。ある意味非常にわかりやすいツクリなのだが、本当に直前の直前まで気を揉ませる演出が憎い。「おしまいdeath!」とか「土下座野郎」など、暮れの流行語大賞に選ばれそうなセリフの数々も印象深い。今後は、柄本明江口のりこなどの芸達者な面々が次々と出演してくるらしい。ますます楽しみだ。日曜夜の憂鬱さを文字通り1時間だけきっちりと忘れさせてくる。

 

11点差がついた敗色濃厚の場面で、野手である増田選手を登板させた巨人の原監督の采配が賛否を呼んでいる。とはいっても、賛同意見の方が圧倒的多数で、否を唱えているのは、ある程度の年齢以上の巨人OBばかり。否定的意見の持ち主の論旨は「球界の盟主たる巨人軍には相応しくない、相手を侮辱した行為」というようなことに要約できるだろうか。

 

球界の盟主らしく、最後の最後まで堂々と力を尽くせ、というのはご立派なお考えではあるが、あまりにも建前論すぎるように思う。今や巨人はまだまだ人気は根強いとは言え、12球団のうちの一つの球団にしかすぎない。中継の視聴率が10%に届かず、ゴールデンタイムのキラーコンテンツとしての地位から陥落してしまった現在、巨人が特別な球団であるという意識はもはやノスタルジーでしかない。老舗の一つであるというステータスはあっても、今後の日本のエンターテインメント界において、絶対的な王者であり続けられる保証はない。素人目に見ても、年々ファンの数は低落していくことだろう。ナイター中継がゴールデンタイムの王者として返り咲く日が来るとは到底思えないし、仮に返り咲くことがあるとしても、巨人戦である保証もない。もはや昔の名声だけで何とかなる時代ではないのだ。そういう意味で、むしろ今回のような策は推奨されるべきだと思う。私は巨人ファンの端くれではあるが、大差で負けている試合を最後まで観たいとは思わない。最後まで観る可能性があるとすれば、どんな野手が登板して、どんなピッチングを見せてくれるのかに興味を覚える場合だけだろう。大体がプロ野球に入ってくる選手というのは、アマチュア時代は「エースで4番」という経験を持つものばかりだろう。現在は野手登録であっても、どこかのステージでは投手を経験していた可能性が高い。であるなら、「素人を登板させるのは失礼」という指摘は的外れなものとなる。少なくともある一時期は投手としての訓練を積んだ経験がある、ということなのだから。相手チームも「野手が投げてくるとはなめてやがる」と思うなら、マウンドにいる人物をめったうちにして、本職を引っ張り出せば良いのだ。これはどこかでだれかが書いていた意見だが、至極もっともであると思うので、私も賛同させていただく。一番伝統だの格式だのというのが好きな巨人自らが始めたことなのだから、他球団もどんどん追随すれば良い。球界の常識として定着してしまえば、だれも文句を言えなくなるだろう。

 

今こそ歴史から学ぶ必要あり『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』読後感

 

 上記の本の読後感を記すのに、のっけから別の本の紹介をしてしまうことをお許しいただこう。中学時代に愛読しており、kindle版が出版されてから大人買いして、つい最近読み返したのが↓

 

熱笑!!花沢高校 (TOKUMA FAVORITE COMICS)

熱笑!!花沢高校 (TOKUMA FAVORITE COMICS)

 

 主人公の力勝男はナリだけはでかいが実は極端な小心者で、暴力が関わる出来事に遭遇すると、それだけで泣き出してしまうというキャラが付与された人物。その彼が、高校入学を機に、弱虫から脱却し、巨大な悪の組織「北大阪の虎」と戦い、勝利するまでを描く物語である。この物語の後半部分のメインは「北大阪の虎」と力率いる「黒いゲリラ」との戦闘シーンなのだが、両軍ともに、様々な武器を装備した戦闘バイクにうち跨って戦うのだ。迫力ある戦闘シーンは見どころ満載だし、ウルトラマン仮面ライダーを観て育ってきた身としては、主人公や悪役たちが強力な武器を手にすることに関して何ら違和感を感じることはなかったのだが、大人になってから読み返すと、どうしても一つの大きな疑問が湧き上がってきてしまうようになった。

それは、力率いる「黒いゲリラ」は大量の武器(作中では全て、力の部下の富岡という人物の友人沖田が手作りしてるという設定になっているので、正確には武器製作に必要な資材)を仕入れるための原資をどこから調達していたのか、というものだ。「北大阪の虎」は傘下の高校からの上納金や、売春、違法薬物販売などの悪事に手を染めることで、それなりの資金を持っているという理屈は成り立つのだが、「黒いゲリラ」の方は、正義を旗印にしており、傘下の高校からの上納金も違法行為による収入もないはずなのだ。沖田の実家は町工場を経営していることにはなっているが、とても彼一人の持ち出しだけでは間に合わないくらいの物資が調達されてしまうのである。しかも、例えば日本の戦国時代であれば、勝った方は負けた方の領土を奪って、そこから得られる収益を借財の返済に充てたり、その後の再軍備の原資に充てたりできるが、「黒いゲリラ」は仮に戦いに勝っても、「北大阪の虎」の「利権」をそのまま引き継ぐわけではない。そうした悪の温床ともいうべき「経済システム」と、その後ろ盾になっている「軍事力」を破壊することが目的なのだ。何の見返りも求めない高潔さは、作品の盛り上げには大いに貢献しているのだが、現実の世には決してあり得ないオハナシなのだ。

 

現実の世の戦いは、ほとんど全てといって良いほど「欲」がその根本原因にある。キリスト生誕の地であるエルサレムイスラム教徒から奪回する、という「宗教上」の大義のもとに始められた十字軍の遠征にしたって、領土の拡大とキリスト教勢力の拡大という「欲」が根本にあった。しかも十字軍は回を重ねるごとに、最初の大義はどこへやら、単なる欲に駆られた略奪集団と化していったことも周知の事実だ。

 

ある国の支配者が、今よりも自分(と、ごく稀にだが自国の民)を富ませようとすれば、領土を拡大することが一番の近道。領土を拡大するためには隣国より強大な軍事力を持つ必要がある。その軍事力の原資となるのは領民からの税金。ということで、税金をできるだけ絞り取ろうとする。領民の方は税金を取られないようあらゆる手段を用いる。日本の荘園制を支えた「有力者への土地の寄進」などはその一例だが、それなりに力のある地方の豪族などは、納税を拒否して中央政府と対立し、内戦に発展したりする。こうなると、国外進出のための軍備を整えるどころか、国内の争いを収める方に力をさく必要が生じ、軍事力は著しく低下する。最悪の場合は、国内の反体制勢力に国を乗っ取られてしまったり、混乱に乗じて隣国から攻め入られて、滅ぼされてしまったりというような事態が生じるのだ。

 

戦国時代の雄、明智光秀も、豊臣秀吉も、実際のチャンチャンバラバラよりも、事前の準備により、自軍は大量の戦闘員と物資を備蓄し、敵国の糧道を断って国力を弱らせて軍事力を削ぐ、という戦い方に長じていたようだ。光秀は本能寺の変で反逆者となり、志半ばにして散ったが、秀吉は物量作戦で小田原の北条氏をはじめ、次々と各地の有力戦国大名を屈服させた。

 

俗に戦の鍵は補給戦にあり、などと言われるが、補給を十分にするためには物資を賄うのに必要なお金を調達する必要がある。となれば、税金をなるべく多くとる必要があるが、あまりにボリ過ぎると今度は領民の離反を招く。しかも高額納税者ほど様々な手練手管を用いて脱税を図る…。なるほど国家経営は難しい。国と国の利害がぶつかり合う、国際的な調整はなおさら難しい。いやはや。

 

だが、こういう難しい課題こそ、歴史に学び、過去の失敗と同じ轍を踏んではならない。こういう時こそ、歴史学者は政治や経済に過去との類似点を見出し、そこで有効だった手段を提言すべきだと思うのだが、良くも悪くも学者然としてしまった、今の研究者たちには現実の世に歴史の教訓を役立てるという視点での行動は見られない。あるいは、行動を起こしている人もいるのかもしれないが、為政者はそうした行動を黙殺しているか、あるいは理解する能力がないのかで、折角の過去の教訓が活かされているとはお世辞にも言えない状態だ。幸か不幸か、今現在の世界はコロナ禍のため、全てのカテゴリーで「一時停止」している。この「一時停止」期間中に、改めて歴史を学ぶことの意義を考え直し、過去の失敗の遺産を未来に活かす施策を考えて欲しいと思う。学界にも政界にも、である。

 

 

支離鬱々日記50

先日、契約キャリアの光回線がおかしくなったとかで、ネットへの接続が切れ切れになった。回線そのものがおかしいという情報はスマホでネットサーフィンしていた当家の最高権力者様よりもたらされたモノで、午後遅くその情報が入るまでは、つながってはキレ、つながってはキレするネット環境にかなりイライラさせられた。もしかして、在宅勤務でのサボりを見抜かれて、会社から接続を拒否されているのではないかと、要らぬ心配までしてしまった。もっとも、もし会社から「お前は出社時と同じように最初から最後まできちんと手を抜かずに仕事してた?」とズバリ聞かれてしまったら、いいえと答えざるを得ない(苦笑)。もっとも出社したって、別にそんなに真剣に仕事に取り組んでいるわけではないが(笑)。

在宅勤務は楽だし、快適なのだが、インフラそのものが不安定になると、全く仕事にならなくなることが玉に瑕だ。特に、当日みたいに、珍しくやる気になった日にそんなことがかち合うと、精神衛生上もよろしくない。ま、今週からはボチボチとではあるが、それなりに気合を入れてやろう、という気になったことは収穫だとしておこう。

 

久しぶりに、家の外で多少時間を潰す必要があったので、ネタの抜き書きだけでもしようと思い、過日買い求めた小型ノートPCを持って行って、ファミレスの片隅で使用した。使用してしばらくしたら、いきなり、押してもいないキーの文字が連続して打ち込まれ、なんとか止めようと、リターンとかバックスペースを何度か押したら、今度は勝手に文字をどんどん消してしまい、今までに打ち込んだ文の一部までもが消えてしまった。ご丁寧に、勝手に上書き保存までしてくれているという手の込んだサービスまで施してくれていた。単なるいっときの不具合であることを願いたいが、中国製品はこういうことも込みで安いのだ、ということを改めて肝に銘じた上で選択しないとエラいことになるな、というのが正直な感想。折しも髪型のおかしい某超大国の大統領が、中国の大手電機メーカーのスマホその他の機器をアメリカ市場から締め出そうという動きをみせているが、そんな横紙破りを待つまでもなく、市場から駆逐される可能性の方が高そうだ。とはいえ、買ってしまったものは返品が効かない(遠の昔にクーリングオフの期間は過ぎてしまっている)から、しばらく使い続けてみようとは思っている。コロナのおかげで、家の外で文章を書くなどという機会は当面非常にまれなものにはなりそうだが…。

 

先日、久しぶりに出勤したら、たまたまマッスルバカと被ってしまった。相変わらず、謝罪の言葉はおろか、目を合わせようともしない。フリーアドレス実施のオフィスゆえ、私は何かと便利な出入り口の近くに陣取ったのだが、わざわざ別の出入り口まで行くという念の入れよう。私はこのバカに業務上のことで渡さなければならないものがあり、以前の出社日に、こいつのロッカーの状挿し口に入れておいたのだが、それを受け取ったかどうかだけは確認する必要があったので、そいつが座っていた席の近くを通った際、それを受け取ったかどうかを尋ねてみた。そしたらこの筋肉だけはついてるくせにだらしのないバカは明らかに怯えた表情で「あ、あ、う、受けとってます。受け取ってます。あの、あ、あ、ありがとうございました。」と返答してきた。バカが。この程度のことでビビってんじゃねーよ。そんなビビリだから、お前はスポーツの世界でもだめ、営業もだめで、普通なら若手社員がやらないような仕事をやらされてんだろうが。メールとかチャットとかではすぐに逆ギレして目一杯反抗してくるくせに、いざ面突き合わせたら、50過ぎのデブのおっさんにまでびびってやがんの。どうせ、き○○まも縮み上がってんだろう。なるほど、普通の日常を送っててもこいつのストレスは大きいんだろう。だから毛根まで弱って薄くなってきてんだ。まだ30にもなってねーのに。言葉以外の仕草や表情から得られる情報というものは大きい。いくらリモート通信ソフトが広まり、在宅勤務やら、テレビ会議やらが当たり前の世界になっても、face to faceでのコミュニケーションの重要さは不変だ、と感じた出来事だった。

 

新規感染者の増加が止まらない。東京も多いが、むしろ、大阪、愛知、福岡といった、地方の核となる大都市での増加の方が深刻だ。ずっと感染者が0だった岩手にまでついに感染者が出現した。ドイツ、韓国などの国で、鎮静化に向かいつつあるという判断で、制限を緩めた結果、少し間をおいたら、再度感染者が急増したという事実から全く何も学んでいないと言われてもしかたない、政府の失態であると思う。ある地域内の人々がその地域内で出歩くことが増えただけでも、その地域内での感染はすぐに拡大し、無自覚な感染者が他の地域に火種をばら撒く、という感染の最悪なシナリオを思いっきり実現した上、Go toなんていう施策で火種のばらまきを加速しようとしているのだから呆れるより他ない。大金を投じて、使い勝手の悪いマスクをばら撒く、と宣言したものの、各方面からの批判が高まると、あっさりとその策を撤回する。対応が後手後手な上、対策も的外れなものばかり。現段階の感染拡大は明らかな人災である。いつになったら、まともな政治家に行政を託せるようになるのか?野党は野党で、一旦別れた連中がまたヨリを戻すことになるようだが、党の名前なんていう枝葉末節の部分で対立しているし…。こういうことだから、ワンイシュウーを掲げて、わかりやすい反面、自分が掲げたモノゴト以外は全くわからん、みたいな有象無象の跳梁跋扈を許すことになるのだ。同じわかりやすくするなら、このコロナ禍下という環境の中で、何を優先した策を打つのか、そしてその策のためにはどれだけの期間と国民の我慢が必要なのかを具体的に示して欲しいと思う。口当たりのいい言葉も、小手先のごまかしもいらないし、そんなことを考えている暇はないはずなのだ。