脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記51

本日は8/10(月)。カレンダー的には3連休の最終日だが、今週からお盆休みってやつに突入する人は多いだろう。今年はコロナ禍で身動きが取れない方も多いと思うが、この時期じゃなきゃ休みが取れないって方も多々いるのだと思う。何だかんだいってもまだまだ横並び意識の強い日本社会故、例年に比べ緩やかになっているとはいっても、お盆時期への夏休み取得集中傾向はまだまだ強いように思う。こういう時こそ、各人が思い切って思い思いの時期に休みを取るということのテストを行ってみれば良いと思うのだが、まだまだ、従来の「常識」ってやつに縛られているお年寄りは多いだろうし、そのお年寄りたちの意向を忖度した同調圧力ってやつも根強くあるように思う。もう一世代、二世代経ないと思い切った制度改革には繋がらないのかもしれない。

 

半沢直樹』の快進撃が続いている。視聴率も高いし、視聴後もネットで話題にされているようだ。当家も定番視聴番組として毎週観ている。

 

このドラマの人気の秘密はいろいろあると思うが、その一つは役柄のわかりやすさにあると思う。出演者に歌舞伎役者が多いこともあるが、特に敵役の顔芸が見事にシーンにハマっている。市川猿之助演じる伊佐山、香川照之演じる大和田、片岡愛之助演じる黒崎の三大敵役はもとより、裏切り者の諸田を演じた池田成志、さらに卑屈な日和見主義者三木の角田晃広、ワンマンなIT企業経営者瀬名の尾上松也、ヒステリックで高飛車な女経営者平山美幸を演じた南野陽子など、テレビ桟敷からではあるが「澤瀉屋」とか『音羽屋」とか掛け声の一つもかけたくなるような、見事な見せ場の数々を作り上げてくれている。場面場面で、敵味方のコントラストが歌舞伎の隈取りメイク同様くどいまでにはっきりと区切られ、半沢はあくまで正義の味方として力強く、敵役はあくまで憎々しい。ある意味非常にわかりやすいツクリなのだが、本当に直前の直前まで気を揉ませる演出が憎い。「おしまいdeath!」とか「土下座野郎」など、暮れの流行語大賞に選ばれそうなセリフの数々も印象深い。今後は、柄本明江口のりこなどの芸達者な面々が次々と出演してくるらしい。ますます楽しみだ。日曜夜の憂鬱さを文字通り1時間だけきっちりと忘れさせてくる。

 

11点差がついた敗色濃厚の場面で、野手である増田選手を登板させた巨人の原監督の采配が賛否を呼んでいる。とはいっても、賛同意見の方が圧倒的多数で、否を唱えているのは、ある程度の年齢以上の巨人OBばかり。否定的意見の持ち主の論旨は「球界の盟主たる巨人軍には相応しくない、相手を侮辱した行為」というようなことに要約できるだろうか。

 

球界の盟主らしく、最後の最後まで堂々と力を尽くせ、というのはご立派なお考えではあるが、あまりにも建前論すぎるように思う。今や巨人はまだまだ人気は根強いとは言え、12球団のうちの一つの球団にしかすぎない。中継の視聴率が10%に届かず、ゴールデンタイムのキラーコンテンツとしての地位から陥落してしまった現在、巨人が特別な球団であるという意識はもはやノスタルジーでしかない。老舗の一つであるというステータスはあっても、今後の日本のエンターテインメント界において、絶対的な王者であり続けられる保証はない。素人目に見ても、年々ファンの数は低落していくことだろう。ナイター中継がゴールデンタイムの王者として返り咲く日が来るとは到底思えないし、仮に返り咲くことがあるとしても、巨人戦である保証もない。もはや昔の名声だけで何とかなる時代ではないのだ。そういう意味で、むしろ今回のような策は推奨されるべきだと思う。私は巨人ファンの端くれではあるが、大差で負けている試合を最後まで観たいとは思わない。最後まで観る可能性があるとすれば、どんな野手が登板して、どんなピッチングを見せてくれるのかに興味を覚える場合だけだろう。大体がプロ野球に入ってくる選手というのは、アマチュア時代は「エースで4番」という経験を持つものばかりだろう。現在は野手登録であっても、どこかのステージでは投手を経験していた可能性が高い。であるなら、「素人を登板させるのは失礼」という指摘は的外れなものとなる。少なくともある一時期は投手としての訓練を積んだ経験がある、ということなのだから。相手チームも「野手が投げてくるとはなめてやがる」と思うなら、マウンドにいる人物をめったうちにして、本職を引っ張り出せば良いのだ。これはどこかでだれかが書いていた意見だが、至極もっともであると思うので、私も賛同させていただく。一番伝統だの格式だのというのが好きな巨人自らが始めたことなのだから、他球団もどんどん追随すれば良い。球界の常識として定着してしまえば、だれも文句を言えなくなるだろう。