脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

今こそ歴史から学ぶ必要あり『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』読後感

 

 上記の本の読後感を記すのに、のっけから別の本の紹介をしてしまうことをお許しいただこう。中学時代に愛読しており、kindle版が出版されてから大人買いして、つい最近読み返したのが↓

 

熱笑!!花沢高校 (TOKUMA FAVORITE COMICS)

熱笑!!花沢高校 (TOKUMA FAVORITE COMICS)

 

 主人公の力勝男はナリだけはでかいが実は極端な小心者で、暴力が関わる出来事に遭遇すると、それだけで泣き出してしまうというキャラが付与された人物。その彼が、高校入学を機に、弱虫から脱却し、巨大な悪の組織「北大阪の虎」と戦い、勝利するまでを描く物語である。この物語の後半部分のメインは「北大阪の虎」と力率いる「黒いゲリラ」との戦闘シーンなのだが、両軍ともに、様々な武器を装備した戦闘バイクにうち跨って戦うのだ。迫力ある戦闘シーンは見どころ満載だし、ウルトラマン仮面ライダーを観て育ってきた身としては、主人公や悪役たちが強力な武器を手にすることに関して何ら違和感を感じることはなかったのだが、大人になってから読み返すと、どうしても一つの大きな疑問が湧き上がってきてしまうようになった。

それは、力率いる「黒いゲリラ」は大量の武器(作中では全て、力の部下の富岡という人物の友人沖田が手作りしてるという設定になっているので、正確には武器製作に必要な資材)を仕入れるための原資をどこから調達していたのか、というものだ。「北大阪の虎」は傘下の高校からの上納金や、売春、違法薬物販売などの悪事に手を染めることで、それなりの資金を持っているという理屈は成り立つのだが、「黒いゲリラ」の方は、正義を旗印にしており、傘下の高校からの上納金も違法行為による収入もないはずなのだ。沖田の実家は町工場を経営していることにはなっているが、とても彼一人の持ち出しだけでは間に合わないくらいの物資が調達されてしまうのである。しかも、例えば日本の戦国時代であれば、勝った方は負けた方の領土を奪って、そこから得られる収益を借財の返済に充てたり、その後の再軍備の原資に充てたりできるが、「黒いゲリラ」は仮に戦いに勝っても、「北大阪の虎」の「利権」をそのまま引き継ぐわけではない。そうした悪の温床ともいうべき「経済システム」と、その後ろ盾になっている「軍事力」を破壊することが目的なのだ。何の見返りも求めない高潔さは、作品の盛り上げには大いに貢献しているのだが、現実の世には決してあり得ないオハナシなのだ。

 

現実の世の戦いは、ほとんど全てといって良いほど「欲」がその根本原因にある。キリスト生誕の地であるエルサレムイスラム教徒から奪回する、という「宗教上」の大義のもとに始められた十字軍の遠征にしたって、領土の拡大とキリスト教勢力の拡大という「欲」が根本にあった。しかも十字軍は回を重ねるごとに、最初の大義はどこへやら、単なる欲に駆られた略奪集団と化していったことも周知の事実だ。

 

ある国の支配者が、今よりも自分(と、ごく稀にだが自国の民)を富ませようとすれば、領土を拡大することが一番の近道。領土を拡大するためには隣国より強大な軍事力を持つ必要がある。その軍事力の原資となるのは領民からの税金。ということで、税金をできるだけ絞り取ろうとする。領民の方は税金を取られないようあらゆる手段を用いる。日本の荘園制を支えた「有力者への土地の寄進」などはその一例だが、それなりに力のある地方の豪族などは、納税を拒否して中央政府と対立し、内戦に発展したりする。こうなると、国外進出のための軍備を整えるどころか、国内の争いを収める方に力をさく必要が生じ、軍事力は著しく低下する。最悪の場合は、国内の反体制勢力に国を乗っ取られてしまったり、混乱に乗じて隣国から攻め入られて、滅ぼされてしまったりというような事態が生じるのだ。

 

戦国時代の雄、明智光秀も、豊臣秀吉も、実際のチャンチャンバラバラよりも、事前の準備により、自軍は大量の戦闘員と物資を備蓄し、敵国の糧道を断って国力を弱らせて軍事力を削ぐ、という戦い方に長じていたようだ。光秀は本能寺の変で反逆者となり、志半ばにして散ったが、秀吉は物量作戦で小田原の北条氏をはじめ、次々と各地の有力戦国大名を屈服させた。

 

俗に戦の鍵は補給戦にあり、などと言われるが、補給を十分にするためには物資を賄うのに必要なお金を調達する必要がある。となれば、税金をなるべく多くとる必要があるが、あまりにボリ過ぎると今度は領民の離反を招く。しかも高額納税者ほど様々な手練手管を用いて脱税を図る…。なるほど国家経営は難しい。国と国の利害がぶつかり合う、国際的な調整はなおさら難しい。いやはや。

 

だが、こういう難しい課題こそ、歴史に学び、過去の失敗と同じ轍を踏んではならない。こういう時こそ、歴史学者は政治や経済に過去との類似点を見出し、そこで有効だった手段を提言すべきだと思うのだが、良くも悪くも学者然としてしまった、今の研究者たちには現実の世に歴史の教訓を役立てるという視点での行動は見られない。あるいは、行動を起こしている人もいるのかもしれないが、為政者はそうした行動を黙殺しているか、あるいは理解する能力がないのかで、折角の過去の教訓が活かされているとはお世辞にも言えない状態だ。幸か不幸か、今現在の世界はコロナ禍のため、全てのカテゴリーで「一時停止」している。この「一時停止」期間中に、改めて歴史を学ぶことの意義を考え直し、過去の失敗の遺産を未来に活かす施策を考えて欲しいと思う。学界にも政界にも、である。