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サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

いかなる理由があるにせよ暗殺は肯定できない 『近代日本暗殺史』読後感

 

安倍晋三元総理が銃撃され死亡されてから早一年余り。世界的に見て治安が安定しているとされる日本においては、近来稀に見る大事件ではあったが、狙撃者山上徹也が事件を起こした背景とされる「家庭連合被害」の問題も含め、早くも風化しつつあるという印象がある。全体的に「平和」で、明日の命をも知れぬという状況の人間がごく少数である現代の日本においては、「普通の殺人」はともかく、政治や経済の要人を狙ったテロはなかなか起こりにくい。要人とされている人の一人や二人殺したところで世の中が大きく変わるはずもないという絶望感に囚われているということもあろうが。

 

著者筒井清忠氏は、標題の書で、明治、大正期に起きた暗殺事件を取り上げ、その背景を詳しく解説することで、日本における暗殺の精神構造を読み解いている。

 

筒井氏の読み解いた、日本人が暗殺という手段に訴える精神的背景は4点ある。

 

1.判官贔屓

暗殺は、名もなき小市民が強大な権力を持つ者を倒すこと。民衆は弱い者が強い者倒すという行為を無批判を応援する気持ちに傾きやすく、こうした目に見えない精神的な支援は大きな追い風となる。

 

2.御霊信仰に由来する非業の死を遂げた若者への鎮魂文化

暗殺者は暗殺の遂行後、自ら命を断つことも多いし、生き残っても社会的生命は事実上断たれることとなる。こうした「非業の死」を遂げた人物は、後の民衆に祟りをなすと考えられてきた。菅原道真崇徳天皇が典型例である。こうした祟りを防ぐための常套手段は「神に祀りあげ」てしまうこと。筒井氏はネットに関しては言及していないが、暗殺者に対してネットに飛び交う「神」などという言葉は、軽々しくはあるものの、まさにこうした祀りあげに他ならない。

 

3.仇討ち・報復・復仇的文化

忠臣蔵を筆頭に、嫌がらせや迫害に対しての怒りを爆発させて暴力的手段に及ぶ、というストーリーは非常に日本人にはウケが良い。

 

4.暗殺による革命・変革・世直し

世を変えるための暗殺であったという理由は世間の支持を受けやすい。

 

この4つは、いずれも日本人の精神に深く根付いている心情であり、取り除くことは不可能であると筒井氏は指摘しているが、これは実にもってその通り。映画やドラマはもとより、具に見たわけではないが、ネット上のエピソードなどでもこの4つに基づいたストーリーはウケが良いようだ。

 

筒井氏はこの4点を踏まえた上で、明治期と大正期以降の暗殺を区分けしている。

 

明治期は暗殺者も被暗殺者も士族であり、「支配階級」同士の争いの結果という色合いが強かった。これに対し大正期以降は被暗殺者は政治家や経済界の大物という支配階級だが、暗殺者は市井の名もなき者に変化していく。そして暗殺の動機も、社会的な悪を葬り去るという大義名分は持ちながらも、実行の起爆剤となるのは個人としての不満(失恋、経済的不遇)だということだ。殺人の目的に良いも悪いもないが、大正期以降は明らかに動機の「矮小化」が見られるのだ。

 

安倍晋三銃撃事件の犯人山上徹也は、まさに個人としての不満を爆発させて凶行に及んだ。自分の今の不遇があるのは母親が家庭連合に入れ上げて、経済的にも心理的にも家族を崩壊させてしまったが故。家庭連合を日本に受け入れてのさばらせたのは岸信介だが、実の孫である安倍晋三もまた、家庭連合と結びついて利得を得ている。故に安倍晋三は倒すべきだ。実に短絡的だが、筋としては間違っているとは言えない。まあこういう心情も前述した4点が私の心の中にも深く根付いている証左なのだろう。

 

例えば安倍晋三氏一人を殺したとしても、家庭連合と自民党の結びつきは簡単に揺らぐとは思えないが、狙撃事件によって、今まで「無いもの」とされていた家庭連合をめぐる様々な問題がマスコミによってクローズアップされたのは事実で、カルト規制法に関しての議論も高まったのだから、結果的に山上徹也の「大義名分」は果たせたことにはなる。

 

とは言え、いかなる理由があろうと人を「殺して良い」などということはあり得ない。筒井氏は先の4点と、格差が広がる社会において、個人的な不満が高まる人物、すなわち要人暗殺に関して「理由」を持つ人物が増えるであろうことを踏まえ、暗殺発生の未然防止の難しさを訴えている。「世に暗殺の種は尽きまじ」とでも言おうか。根本的な対策は為政者が世の不満をなるべく少なくしてくことしかないのだが、そんなことができそうな人物はどこを向いてもいそうにない。