脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

「日本の男」の一つの理想像 『あるヤクザの生涯 安藤昇伝』読後感

 

 

本当は去年のうちに投稿しておきたかった読書ネタシリーズその2。

 

主人公安藤昇氏は特攻隊員だったが、出撃する前に終戦を迎えてしまった。「国のために死ぬ」という最高のヒロイズム発現の場を失った彼が踏み込んだのは無頼の徒への道。題名には「ヤクザ」とあるが、文章を読んだ限りでは、正式にどこかの大きな組の盃を受けたわけではなかったようだったので、今でいう「半グレ」に近いような存在だったのではないかと感じた。

 

立場の解釈はともかく、「本当ならもう終わっていたはずだった生涯」だと思い切って開き直った安藤氏は、ダークサイドに踏み込んで、悪知恵をめぐらし、コトと次第によっては暴力に訴えるという、まさしく反社会的勢力としてのし上がっていく。その一方で、一番最初に告白された女性を一生愛し続けるという情の深さも見せる。ただし、彼が愛したのは彼女「だけ」ではなかったということも語られてはいる。

 

ヤバいことをやってるのは百も承知だが、いざとなったら腕にモノを言わせることも辞さず。同じく切ったハッタが大好きな仲間や子分に囲まれて、金も女も手に入れ放題、夜の街でもいい格好のし放題。コトの善悪は別にして、男ならこういう生活に憧れを抱いてしまうのではなかろうか。自らの欲望を叶えるためには手段は選ばないし、欲望を我慢することもないが、決して弱いものイジメはせず、権力にも屈しない。まさしく、虚構の世界のヒーロー像だが、現実世界で、極めてこの理想像に近い生活を実現していたのが安藤氏という人物なのだ。

 

正直私も憧れを抱いてしまう人間の一人だ。幼児が「将来何になりたい?」と尋ねられて「仮面ライダー(なんでもいいが、とにかく絵空事の主人公)」と答えるのと同じレベルの憧れではあるが(笑)。こんなこと現実にはありっこねーし、少なくとも自分にはそんな腕も度胸もねーわ、と自覚しているからこその憧れの気持ちだ。

 

そういう気持ちを持つ人が多いであろうことを見抜いた映画会社の人間が、横井英樹(火災で多数の死者を出したホテルニュージャパンのオーナーにして、やっぱりカタギの人間とは言い難い存在だった人物)襲撃事件を起こしてヤクザを引退してた安藤氏本人を主役にして、彼自身の半生を描いた映画を制作し、それなりの興行収入を上げたらしい。本人は「自分が本当にやってきたこと」を絵空事にされてしまうことをあまり面白くは思わなかったようだし、そんな嘘っぱちの物語がウケてしまう世間そのものへも軽蔑の眼差しを送ったりもしている。

とはいえ、一度引退を口にした以上はヤバい仕事には手を出さない、と決めてそれを実行したところは潔い。こういう姿も大衆の皆様には美点として認識されることだろう。

 

石原慎太郎氏の作品としては政敵であった田中角栄氏を描いた『天才』以来、久しぶりに読んだ一冊だったが、この二作の共通点は、読んでいると、なぜか好戦的な気分を掻き立てられるところだ。石原氏は時に「舌禍」とされるような乱暴な物言いをすることがあるが、使っている言葉は決して乱暴ではないのに、喧嘩を売られたような気分が起こってくるのだ。先入観なのか、あるいは何か特徴的な表現によるものなのか?この点については石原氏の作品を鑑賞する際に興味深く感じる部分であるので、未読の作品を読み進めたり、既読の作品を再読していきながら、追求していきたいテーマである。