脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

「社畜」の殺し屋のお話 『ゲーム・オブ・デス』鑑賞記

 

ウェズリー・スナイプス主演。凄腕のCIA工作員が任務と人情と欲望の間で揺れ動く姿を描いたバイオレンス。

 

冒頭は多くの護衛を引き連れ、きれいどころのオネーちゃんたちを大勢はべらし、酒も相当きこしめしたマフィアの親分が上機嫌で店から出てくるシーンから始まる。取り巻き女の一人(実はCIAのエージェント、フローリア)が酔ったふりをして、隙を作り、その親分をナイフで刺殺する。色めきたって女に殺到するボディーガード。殺されてから大騒ぎしたってしょうがねーじゃん、と思ったものの、群がりくる屈強な男たちは、近くのビルからのこれもCIAの一員であるザンダーによる正確な狙撃で次々と倒れていく。どさくさ紛れにNo.2(だと思う)の男は待たせてあった車に乗り込み逃げようとするが、運転席にいたのはスナイプス演じるCIA一の殺し屋マーカス。彼も冷静に逃げ込んできた男を射殺するが、一緒に逃げ込んできた取り巻き女の一人は逃す。顔はしっかり見られているにもかかわらず…。マーカスの冷徹さと、真面目すぎるほどの正義感を示す描写としてはなかなかに巧妙だ。

 

で、次のシーンはいきなりバスケットボールに興じる少年たちが画面に登場する。少年たちを指導していた牧師に自らの半生を話し出す、というテイでメインストーリーが始まっていく。

 

マーカスは、前述のフローリア、ザンダーと共に、アフリカのゲリラへの武器供与でしこたま設けている組織に潜入し、その組織とその組織に資金供与を行なっている投資会社の壊滅を命じられる。マーカスは忠実に任務をこなそうとするのだが、今までの待遇に不満を持っていたザンダーは、フローリアを味方に引き込んで、投資会社の金庫に眠っている一億ドルという大金をせしめることを計画していた。

 

で、ザンダーは武器商人の頭であるスミスを人質にまんまと資金を強奪するのには成功。莫大な金額となる分前をダシにマーカスを仲間に引き込もうとするザンダー。恋愛感情(おそらくは誘惑の手練手管ではなく、本当の感情)でマーカスに仲間となることを訴えるフローリア。

 

しかし、マーカスは金にも、恋愛感情にも背をむけ、ひたすらに任務に忠実にあろうとする。人質に取られたスミスを救出し、莫大な金は国に没収させようとするのだ。

 

おいおい、いかになんでも高潔に過ぎねーかい?それとも、金と女両方ともぶら下げられたら簡単に転んじまうって考えちゃう、俺ってのは卑怯な存在なのかな?自らの中の天使と悪魔が心の中で派手な喧嘩をおっぱじめちまったじゃねーかよ、おい!

 

この映画のキャッチコピーは「有罪かどうかは、俺が決める」というものだったそうだが、なんだかマーカスの正義ってのは高潔に過ぎているような気がする。そこまでして正義を守って、その結果得られるものって何?国家公務員への特別賞与としては高いとはいえ、裏金の分前とは桁が違う少なさの報酬と、上層部からの賞賛くらいのものだ。日本で言うところの「社畜」そのものじゃねーかよ、おい!!

 

強いて完全な「社畜」とは言えないところを探してみれば「自らを恥じることのない矜持を守れた」ってところか?例えばゴルゴ13ならば、自が基準と定めた報酬以外は一切受け取らないというのは、どんな組織からもフリーであり続けるためのルールだというのは理解できるのだが、マーカスはこの後、別に金で殺しを請け負うような仕事には就くような雰囲気ではない(少なくとも本作上にそうした描写はない)。

 

任務のために、信頼していた仲間も、恋人になったかもしれない女も自らの手で葬り去らなければならなかったという苦々しさを表すのに、教会に全ての報酬を寄付しようとするのが、日本と彼の地の宗教というものに対する考え方の違い。

 

日本なら、さしずめ、菩提を弔うことを願うと同時に全額を寺にでも寄付するということにでもなるのだろうが、寄付された寺は本堂を新しくするとか、より大きく派手なご本尊でも安置することになるのだろう。まあ、この作品の中の牧師だって、どう使うかわかったもんじゃないけどね(笑)。全てが終わった後に残ったのは使う気にもなれない大金だけ、という虚無感というのは伝わったと思う。せめて最後に、フローリアの墓に花でも手向けるくらいのシーンはあってよかったような気はする。