脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

左遷人事を喰らった人間に対しての一つの処方箋 『異動辞令は音楽隊』鑑賞記

 

『VIVANT』の序盤では堺雅人氏を差し置いて堂々の「主役」を張った阿部寛氏主演の刑事モノ映画。

 

主人公成瀬(阿部)は昔気質の刑事。部下を人前で平気で怒鳴りつけるし、納得がいかなければ上司であろうと楯突く。犯人を検挙することには熱心だが、そのためには家庭生活を犠牲にするのは当たり前、という考え方の持ち主で、女房には去られ、高校生の一人娘からも反発を喰らっている。認知症が進みつつある母親の介護にも手を焼いている。こんな人物設定。

 

そんな昭和の刑事ドラマそのものの日常を送る成瀬は、ある日突然音楽隊への異動を命じられる。部下へのパワハラをはじめとして、コンプライアンス遵守に著しくかける行動が日常化しているという告発を受けてのものだった。

 

刑事一筋で生きてきて、そんな生き方に誇りを持っていた成瀬は大いに腐る。楽器の経験は小学校時代の和太鼓だけ。おまけに音楽隊の連中は通常業務との兼任とあって、やる気に欠ける人間ばかりで、音楽隊としての体をなしていない状態。

 

この辺の描写、私の20年前を思い出してしまった。頑張って実績を挙げたにも関わらず、理不尽にしか思えない僻地の営業所へ配属にあった身としては、成瀬に同情せざるを得ない。組織は適材適所の美名の下に、平気で個人の意向を無視した人事異動を、十分な説明もなしに行うことがままある。その理不尽さに泣いた人物は私も含め数知れないほどいるはずだ。

 

で、こういう場合人はどうなるか?不貞腐れてやる気をなくしてもっと悪い立場になってしまうというのが第一の例。私もこれに当てはまった。第二の例は、異動を蹴って会社を辞めてしまうこと。独身ならともかく、家庭がある人にとってはこの選択肢はなかなかに辛い。手に職でもあれば別だろうけど。第三の例は、何くそ!と奮起して異動先でさらに実績を挙げ、中央に栄転し返すこと。会社としては私にこれを求めたのかも知れないが、残念ながら私はそこまでのど根性は持っていなかったし、散々努力した後だっただけに、これ以上の努力は無理とも判断した。会社は個人の実力を伸ばすためと称して、平気で重い任務を押し付けてくるものだ。潰れたって替りははいくらだっているし、そこでさらに実績を伸ばすのなら見つけものくらいに思っている。誰がそんな手に乗ってやるかっつーの(笑)。

 

今作で描かれているのは第四の道。すなわち、今まで本格的に楽器などやったことのなかった主人公が、新しい環境で様々な試練にぶつかり、それを克服していく過程で、人とのつながりの大切さや音楽の楽しさ、人々に感動を与えることの素晴らしさに目覚め、音楽隊に新しい生きがいを見出していくというストーリーだ。言い遅れたが成瀬は音楽隊ではドラムを担当する。

 

このストーリー自体は悪くない。成瀬が様々な困難を克服して人間的に成長し、最後には、長年追い続けてきたアポ電強盗の親玉まで捕まえてしまう。バンドを組んでいる娘との関係も修復し、廃止の危機にあった音楽隊も無事存続が決定。いいことづくめのハッピーエンディングだ。

 

ただし、私自身はこのハッピーエンドについては少々懐疑的にならざるを得ない。結局は、どんな環境に放り込まれようともその環境の中で努力していくことで道は開けていく、という結論に導いている。これは企業にとって非常に都合の良い結論だ。大抵の企業は、特に中高年になってから一度左遷を喰らってしまえば、その後にほとんど浮かぶ瀬などない。どんなに努力したって、必ずしも自分の思い通りになるわけではないというのが重い現実だ。まあ、エンターテインメント作品なのだから、そこまで重い現実を描く必要はないという判断なのだろう。ハッピーエンドの方がウケがいいというのはエンターテインメントの鉄則でもある。画面上の大団円とは裏腹に、気持ちが冷めてしまった私はヒネクレものなのだろうか?