脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

企業を「成功」に導くのは、表に出ない地味な部分の安定と充実 『SHOE DOG』読後感

 

 

世界中のスポーツシューズ好きを惹きつけ、今やその製品は投機対象となるほどの人気を誇るのがナイキ。その創始者であるフィル・ナイト氏が会社設立から近年に至るまでの記録と記憶を公開したとして話題となりベストセラーとなったのが標題の書。私は「紙」で発売された時点(のちに電子化もされた)ですぐに買い求めていたのだが、読んだのはつい最近という、積ん読歴の長かった一冊だ。単に本箱の隅っこのそれも奥の方にしまい込んでいたことが原因だが、引っ越し作業の合間に見つけて手に取って読んでしまった。

ナイト氏は生粋の実業家というわけではなく、成績はパッとしないながら、大学卒業に至るまで中長距離走を専門としていたアスリートであった。大学卒業時に就職を考えるにあたり、一度今までの自分の生活を全てご破産にして見聞を広げるため、世界一周の旅に出る。詳しいトピックは本文をお読みいただきたいが、日本を訪れた際にオニツカ(現アシックス)という会社に出会ったことが、彼のその後の人生を定めてしまうこととなる。

 

今や、世界に冠たるスポーツ用品総合メーカーであるナイキは、アメリカで日本製のオニツカのシューズを販売する代理店「ブルーリボン」としてスタートしたというのは実に意外だった。最初っから機能とか先進的なデザインがウケて注目され成長した会社だとばかり思っていたが、最初はど根性営業会社だったわけだ。

 

このど根性会社はしかし、ナイト氏の大学時代のコーチで、シューズの機能を向上させることを記録を向上させることに繋げようとする熱意に関しては偏執的と言って良いバウワーマン氏を顧問として雇っていたことで、「他人の褌で相撲を取る」だけの販社から、機能に優れた製品を世に問うことのできるスポーツシューズメーカーとなり、さらにはとんがったデザインの品々を次々と世に問う「ファッションの最先端企業」の地位にまでのしあがったのだ。

ここで問題となったのは、ディマンドチェーンの貧弱さ。世の需要に対しての生産が間に合わず、また供給網も整備されなかったことで多くの機会損失と顧客からのクレームを招いた。この問題の解消には特効薬的な対策はなく、安定した品質の品々を作れる工場を増やしていくしかなかった。工場を増やすのには資金が必要。ところが、こんなとんがっただけの会社にすんなりと資金を供給してくれる銀行はなかなかなかった。この事態も救世主が現れたわけではなく、ひたすら丹念に自分達の経営状況の優良さと、製品の需要の高さをアピールして、金融機関を説得していくしかなかったのだ。この辺の苦労話は、童門冬二先生あたりが書きそうな、ど根性商人物語によくある設定だが、実際にその辺の苦労話が一番面白いというのも事実。

歴史は勝者のものとはよく言われることだが、この本も結局は勝者としてのナイト氏の視点からしか描かれていない。なぜ、きちんと努力をした上で売り上げを伸ばしていた(あくまでナイト氏の主張だが)のに、オニツカが契約を打ち切ったのか?また、製品の市場での売れ行きは圧倒的であったのに、銀行からの信用をなかなか得られなかったのはなぜか?ナイト氏を取り巻いていた人物たちがナイト氏や当時のブルーリボン社をどう見ていたのか、について是非聞いてみたいと思った。単にオニツカや銀行家たちの頭が固かったのだ、では済ませられないような問題があったのかも知れない。その当時の問題を別角度から考えてみることができれば、ナイト氏たちが単に運の良い連中だったのか、真っ当な努力で深刻な問題を乗り切ったのかについて正当に判断できるような気はした。

 

興味を惹かれたので、アシックス側の観点からナイキとの関係を論じた本はないかと思って、kindleで検索をかけてみたのだが、アシックス社の、主に日本国内での現在のマーケティング戦略を述べているであろうと推測される題名の本しか見当たらなかった。「逃がした魚は大きい」と思っているのか?「いずれ違う方向に向かうだろうから、早めに切り捨てておいてよかった」と考えているのか?アシックス社の本音を是非聞いてみたいものだが、まあ、聞かせてはくれないだろうな。

 

この本から得た結論は題名に書いた通り。人々の注目を一時的に集めることはできても、その注目を継続させるためには、安定した供給を約束できる生産体制だったり、事業を継続させるための資金調達だったりという、それこそ地味で真面目な仕事の充実こそが必要だということだ。企業にとって必要だということと、自分がそういう地味な仕事をしたいかというのは全く別問題で、私は、とんがった製品だったり企画だったりを考え出す方に従事したかったし、今でもそう考えているが、今の会社でその欲求を満たすことことは不可能。故に自分で何かとんがったことをやるんだ、という気持ちの再確認もできた。