脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

ど真ん中の実録モノ 『S霊園 怪談実話集』読後感

 

 

アウトロー小説と怪談の二刀流として名の通っている作家福澤徹三氏による実録怪談集。

 

私は「怖い小説」は好きだが、いわゆる霊感というものが皆無な鈍感体質なので狐狸妖怪の類は信じていない。世にいう「心霊スポット」なんぞに出かける物好きな趣味も持ち合わせていないし、虫の知らせやら、突然の悪寒なんてなことにも出くわした記憶がない。唯一あるのは金縛りの体験だが、これも「脳だけは覚醒しているのに体が覚醒していないから体が動かないだけのお話だ」と冷静に受け止めて状況を理解し、そのうちに再度眠りに落ちてしまった。で、金縛りの後も今のところ祟りらしい祟りには遭っていない。望まない仕事の部署にばかり回されて、鬱な気分を散々味わっているってのが祟りなのだ、と言われてしまうと返す言葉がないが(笑)。

 

どのような表現を用いれば読み手を怖がらせることができるか、という点に興味を惹かれるので、恐怖小説やら怪奇小説とカテゴライズされる作品を読むのは好きだ。ただし、ものの怪の類が犯人だという設定のオハナシでは一挙に興醒めしてしまう。そうしたものの怪は文中に登場する「正義の味方」に最終的には倒されてしまうことが多いし、仮に「正義の味方」に勝ってしまったとしても、次の瞬間から私自身に害悪が降り掛かってくるわけでもない。所詮は絵空事という結末に終わってしまう。

 

一番「恐怖」を感じるのは、人間の心理が狂気と正気の間で揺れ動く中で事件が発生し、当事者が正気なのか狂気に駆られているのかが最後までわからないような作品である。事件そのものはできるだけおどろおどろしいものが良い。狂気に駆られた人間は、空想上の残酷さを容易く超えるような現実を引き起こす、なんてなストーリーで、読んだ後に思わず周りの人間を見回して、何食わぬ顔してても腹の底では何を考えてるのかわからないのが人間だ、と再確認せざるを得ないような作品が最高だ。阿刀田高氏の初期の作品などは、まさにそんな「ありふれた隣人の怖さ」を描いたものが多かった。

 

さて、標題の書は題名に「怪談実話集」とある通り、福澤氏が採集したり、雑誌『幽』の読者からの投稿などの「実話」を、福澤氏が再構成した作品を収録してある。というわけで、結局は幽霊とか妖怪の類が出来事の「犯人」であるとされる作品が多いので、私の好みからは少々外れた作品ばかりだった。とはいえ、例えば、現代人の必携品となったスマホでの文字のやり取りの中での出来事や、通話中の出来事などは私の身にいつ起こってもおかしくはない出来事なので少々薄寒い思いはした。

 

特に、最近心身ともに衰えの見られる私の老母との電話でのやり取りのことを考えてしまうと、なかなにリアルな恐怖が襲ってくる。老母には高齢者向けのいわゆる「簡単スマホ」を持たせているのだが、それでも彼女にとっては使い方が難しいらしく、電話がかかってきたものの、本人は電話をかけた自覚がないので近くで放映されているらしいTV番組の音声だけが延々と聞こえていたり、こちらから電話をかけても「あれ、全然聞こえない、なんで?」などという独語だけがこちらに聞こえていたりすることが最近特に多い。今のところこの程度のことは「認知症あるある」として笑い飛ばしてしまえばいいだけだが、例えば、本当に本人は全く何もしていないのに勝手に電話がつながってしまったり、こちらの声がどこか別の場所に送られていたらなどと考えると、老母の老いへの恐怖とは別の「超常現象」ってやつへの恐怖がじわじわと襲ってくる。昔からの魑魅魍魎とは別種の何かが、見えないながら隙間なく張り巡らされたネットの中に出現していて、勝手に情報を操作していたら…、なんてなことを考えると、私にはかなりの怖さが襲ってくる。

 

まあ、こんな込み入ったことを考えなくても、「昔からの言い伝えがあるようなヤバい場所にいくと必ず何かあるよ」というレベルの怪談としては十分に楽しめる一冊ではあった。