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サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

マカロニ•ウエスタン屈指のヒット作『荒野の用心棒』鑑賞記

 

 録り溜め映画鑑賞記シリーズ第三弾は、欧米版時代劇とでもいうべき西部劇をチョイス。それもド定番の『荒野の用心棒』。若き日のクリント•イーストウッド主演にして、黒澤明監督の名作『用心棒』からインスパイヤされた(というより、無許可のモロパクリ。のちに訴訟問題に発展し、日本の制作元である東宝が幾ばくかの著作権料を得ることで和解)一作だ。

 

ストーリーは時代と国が変わっただけで、黒澤作品の『用心棒』そのもの。実に忠実なストーリー展開である。ちょっとググって調べてみたら、なんでも監督のセルジオ•レオーネはこの作品の製作を企図した際に、黒澤作品の台本のセリフをそのまま書き写したとのこと。それだけ黒澤作品が優れていたことの証左ではあるのだが、なんだかなぁという感も否めない。少しは自分なりの解釈なり色なりをつけろっての。日本人の独創性のなさを揶揄するのに、よく「日本人の発明品は自動車のギアの脇にあるコイン置き場だけ」なんてなジョークが使われるが、なんのなんの、ちゃんとそちらに真似されるだけの価値あるモノだって作り上げてますよ、という変な優越感を持ちつつ、鑑賞継続。

 

舞台はアメリカとメキシコの国境近くの小さな村、サン•ミゲル。今なら、トランプ氏の公約による高い壁ができているあたりという設定だ。当時はその辺の管理がゆるく、どっちからどっちへ行ってもあまりおとがめはなかったであろうことが推測される。登場人物の名前なんか、メキシコ系、アメリカ系入り乱れてる。

 

で、この街の勢力を二分しているのが、ならず者集団ドン•ミゲル一家とバクスター保安官一派。保安官と言ったって、やってることは大してドン•ミゲル一家と変わらない腐敗役人。「原作」通り、ヤクザの団体が二つ争っていると思って差し支えない。

 

そこにやってきたのが、流れ者のジョー。冒頭で幼い子供が母の姿を求めて泣きながらある家に飛び込むと、そこにいた見るからにタチのよくなさそうな男たちが、その子供を追い払うのに、いきなり銃を使うというシーンがあり、このシーンはこの村の無法ぶりをうまく表してはいると思う。

で、この無法状態をなんとかするためにジョーが立ち上がり、様々な策を用いて、両方を共倒れにするというのがメインストーリー。ジョーがなぜ、こんな小さな村の、ややこしい事情に首を突っ込もうと思ったのかは、原作同様定かではない。強いてあげれば、弱いモノたちが平穏な暮らしを営めるようにするため、ということになろうが、これもまた原作同様、二つの勢力が消滅した後の姿は描かれていないので、本当のところはわからない。ジョーが村長にでもなって、最後に登場人物が皆で笑って大団円、ってなシーンがあれば、わかりやすい終わりとなるのだが、それはこの作品の意図するところではないのだろう。というわけで共倒れにするまでのジョーの権謀術数と、最後のガンアクションの緊迫感がキモとなる。

 

黒澤作品に忠実に作ってあったせいで、作品そのものの出来は悪くなかった。元々質が良いものを、対象とする人々が受け入れやすい設定に作り替えたのだからウケないはずはない、ということで興行的には非常に成功したらしい。だが、今でいう、インディーズ映画に近いような低予算で作られたマカロニウエスタンらしく、いろんなところがいかにもチャチだ。衣装、小道具などはクリント•イーストウッド自らが用意するというお金のなさで、全体が安っぽくなってしまったのはやや残念。

 

西部劇もかなりストックがあり、今後しばらく鑑賞記が続くかもしれないので、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。