脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.122(不要品処分あれこれ2 ギブアップ)

シルバーウィーク後半戦は9/24(金)に休みを取ったので4連休。引越し業者からは荷造り用の段ボール箱が100枚届いたので、9/23から本格的に荷造り開始。

 

まずは不要品として処分しようと思っている本棚の整理から。私は本好き、最高権力者様も読んだ本は取っておく派なので、まあ、かなりの量になった。中型段ボールにして20箱超。これでも断捨離を意識するようになってから随分売り払ったし、電子書籍化されたものは極力そっちで買うことにしているので、量は抑えたつもりではあったのだが、現実は重いし、物体としての本も重い。詰め込んだ箱をあっちにやったりこっちにやったりで、少々腰も痛い。

 

次は服。やはり処分することにしたシェルフラックをひっくり返したら、知らぬ間に溜まっていた、レプリカジャージの類がまあ、出てくること出てくること。改めて、軽度ではあるが、買い物依存症に罹患していることに直面させられた。トレーニングやウォーキングの際に着倒して、一枚一枚「着潰して」いったとしても、おそらくはもう一生分のストックに達しているだろう。ここ数ヶ月、気分の落ち着かない時は、ついついアマゾンで「ラグビージャージ」を検索してみたり、各ラグビーショップサイトのバーゲン商品なんかをみてしまい、いくつかは買い求めもしたのだが、今後は買いたい気持ちが起こったら、まずこのストックの山を見にいくことにしよう(笑)。今までは衣替えの関係もあってストックの半分は目にすることができなかったが、今後は一目瞭然だ。

 

さて、肝心の不要品の処理について。

 

1つ目の業者には写真を送った時点で断られ、二つ目の業者からは「買えるモノはなく全て処分」とされて一週間、三つ目の業者が見積もりにやってきた。

 

結果から言うと、全て処分。うーん。せめてワードローブと小型の食器棚くらいは売り物になるのではないかと、淡い期待を抱いてはいたのだが、使用年数が長いことが理由で全て処分する以外にないという結論になってしまった。三つ目の業者氏が唯一食指を動かしたのは、まだ、真っ当な家具店であった大塚家具で買い求めたアンティークのリビングボードのみ。これは流石に当家としても手放すつもりはない。「売る気になったらいつでも連絡ください」と、笑顔の業者氏。少なくとも貴社に売ることはほぼ不可能。遠い土地へ越してしまうんだからね(笑)。

 

それにしてもプロの目は確かだ。高級品であるリビングボードを一発で見抜いたこともさることながら、先ほど大量のレプリカジャージを収納していたと書いたシェルフラックなど、一瞥しただけで「あ、これはイケアさんのやつですね。買取は無理です」との言。まあ、イケアのやつなんかは世に大量に流布しているから見慣れたもんなんだろうけど。

 

都合三つの業者に見積もってもらい、流石の当家もギブアップ。見積もり的には三つ目の業者のものが一番安かったので、処分をお願いすることにした。

 

閑話休題

 

モノに買値がつかないというだけのことで、悲しい気持ちになってしまうのは何故だろう?自分が選んだ品に魅力がないと言われてしまったと感じるからか?まだ使えるのに、という気持ちが沸き上がってくるからか?捨てるのにかかる費用が馬鹿らしいからか?

 

これらの気持ちが全てごっちゃになったための落ち込みだと理解し、一つ一つの気持ちに折り合いをつけていくしかない。

 

使っていた当人たちにしてみれば「愛着」と言う名の思い出やら思い入れが付与された物品ではあるのだが、他人にすればそんなものは全く関係ない。純粋にモノとして魅力があるか否かがその品の市場価値だ。その上、買ってからかなりの時間が経ってしまっている。流行の移り変わりってやつだって無視できないし、安い新品の家具だって市場には大量に存在する。今まで使っていた品には、こっちが勝手に愛情らしきものを感じていただけなのだからそんな気持ちは捨ててしまうに限る。そうそう簡単なお話ではないけどね。

 

まだ使えるのにもったいないと言う気持ちは気持ちとして大事なものだとは思うが、これはその品物は「使い切った」のだと思い切るしかない。家具の類は、大事に使えばそれこそ一生ものではあるが、例えば二十年も使っていれば、減価償却の観点から考えても、もう使用物としての価値は無くなっていると割り切れる。当家の今回の処分対象品の大半は結婚当時に買い求めたものなのだから、もう使い切ったのだ。繰り返しになるが、思い入れは心の中にだけ取っておくしかない。

 

捨てるのに費用がかかってしまうというのも、そういうシステムなのだと割り切るしかない。例えば「ジモティー」みたいなアプリを利用して、「ただでくれてやるから取りに来い」という通知を出すという手もあるが、正直言って面倒くさい。引っ越していくとはいえ、見ず知らずの他人の来訪を受けるのはあまり気分のいいお話でもない。ならば「お金の関係」に終着させてしまえばいいではないか。

 

荷物を整理しながら、気持ちも整理した。新しい生活を始めるにあたっては、古い生活の残滓はなるべく少ない方がいい。どうしても持って行かざるを得ない残滓は、新居で徐々に処分していき、その後は必要なものを必要な時に手にいれ、いらなくなったら手放す、という生活にチェンジしていく予定である。一気にミニマリストにまで走ろうとは思わないが、モノが多いというのはそれだけノイズの多い生活になることを意味する。自分がやりたいことに特化した生活を送るためにも、いらないモノはどんどん手放すという気持ちを行動の根本に置きたいと思う。