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サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

歴史の脇役にもそれぞれ深い人生がある 『信長の血脈』読後感

 

信長の血脈 (文春文庫)

信長の血脈 (文春文庫)

 

 

齢70を超えてから世に言う「本能寺三部作」で鮮烈な文壇デビューを飾った、加藤廣氏の短編集。日本史上に強烈なインパクトを与えた人物や出来事の陰で、その人物や出来事に寄り添い、あるいは争いながら生き、死んでいった四名を取り上げている。

 

収録作品は四編。『平手政秀の証』は織田信長の傅役平手政秀が、『伊吹山薬草譚』は本能寺の変に際し、本能寺から信長の遺体を持ち出したとされる信長の弟清玉上人に仕える清如が、『山三郎の死』では大坂の陣の中心人物として知られる片桐且元が、『天草挽歌』では「本能寺三部作」の最終作の主人公である明智左馬助の息子三宅藤兵衛がそれぞれ主人公となる。加藤氏自身もあとがきの中で語っているが、「本能寺三部作」を書き上げるに際し集めた資料の中には、創作意欲を掻き立てられる出来事や人物が多々登場したそうだ。ただ、その人物の世間への登場タイミングに即して、長編中にそのエピソードを挿入してしまうと、執筆意図から外れていってしまう。したがって、泣く泣く長編には登場させなかったものの、作品にしたいという思いだけは強く残ったネタの小説化作品というのがこの一冊の位置づけ。著者加藤氏としては、この短編集を書き上げたことで、ようやく「本能寺三部作」を「完全に」書き上げたという気持ちになったそうだ。なお、こうした創作意欲の源となった人物の一人、千利休については『利休の闇』という長編作品も上梓されている。

 

加藤氏の取材と、その取材に基づいた考察は非常に詳細に渡ったのであろうということが想像できる。何しろ、『伊吹山薬草譚』に関しては、伊吹山近辺には、古来日本には自生していなかった西洋起源の薬草が何種類か見られる、という情報の断片から伊吹山一帯に信長の庇護を受けたキリスト教の宣教師一団が住み着いて、そこに欧州から薬草を持ち込んで育てたというエピソードを引っ張り出し、その近辺で日本古来の薬草を育てていた農民たちとの軋轢を描いて見せているのだ。

 

この作品と最終作の『天草挽歌』では、キリスト教の負の側面をややヒステリックとまで言える筆致で描いている。キリスト教の広まりはその教えの「崇高さ」だけでは決してなく、宣教師を通じ、教えを受ける側には様々な物資や先進的な武器、技術を手に入れようとする欲があったことも大きな要因だった。神の下での平等を説き、博愛主義を謳い文句にしている割には、有色人種を手酷く差別し、「同じ人間ではないのだから容赦無く罰して良い」としてとても人道的とはいえない扱いをしていたこと。そして、異教を信じるものはやはり「同じ人間」として扱わなくて良いから仏教徒神道の信者はいくらでも殺してよく、また神社仏閣は異教の魔物どもが集結する場であるから打ちこわして良いとして傍若無人な振る舞いを多々為したこと。これらの例を挙げ、どのような拷問にも耐え、気高く殉教した人々の姿のみ美談として取り上げがちな現状についての疑問を呈している。

 

日本は武士という武装した知識階級が多々いたからキリスト教は思うままには「侵略」できなかったが、同時代の南米などでは、武士のような存在がいなかったために、文字通りやりたい放題に蹂躙されるような悲劇が起こったという指摘はなかなかに重い。自分たちの文化や宗教、言葉を奪われた南米ではカソリックスペイン語が大きく幅を利かせているが、果たしてこれはかの地の人々にとって幸せなことだったのだろうか?文明の恩恵に預かることも多かっただろうではあろうが、にわかには答えの出せない重い問題が横たわっていることに改めて気付かされた。

 

閑話休題

歴史上に数々ある、謎や疑問の一つが「豊臣秀頼托卵疑惑」。勝手な命名で申し訳ないが、要するに秀頼は秀吉のタネではなかったという説だ。これを扱い疑惑の真偽を探る役目となったのが片桐且元。秀吉は猿とも称された通り、小柄でお世辞にも美男とは言えない容姿だったそうだが、秀頼は身長も高く、役者にしたいような美男だったそうだ。のちには「花の様なる秀頼様を 鬼の様なる真田が連れて 退きも退いたり鹿児島へ」などという戯れ歌まで流行ったそうだが、秀頼と秀吉の容貌は「母親似」というレベルでは説明がつかないほどかけ離れていたというのは本当らしい。そこで父親候補として浮かび上がってくるのが蒲生氏郷の家臣名古屋山三郎淀殿との接点はあったし、片桐且元が容姿を確認しようとした際は、当時誕生したばかりの「歌舞伎」の舞台に女形として上がっていたという、いかにも、なストーリーが展開される。このお話の結末は本文に譲ろう。

四篇に登場した人物はそれぞれに物語の主人公になるにたる波乱に満ちたストーリーを背負っている。

しかしながら、同時代にはさらに大きなストーリーを背負った人物が、それこそ山の様にいた。彼らの人生が軽いわけでは決してないのだが、織田信長豊臣秀吉徳川家康のビッグ3をはじめとする戦国武将のお歴々に比べると、残念ながらどうしてもスケールの点では見劣りする。歴史に名を残す人物は何か大きな出来事(大抵の場合戦い)を起こし、そして少なくとも一度は「勝って」いる。本当は、この物語で取り上げられた様な、あるいはもっと目立たない人物たちの行動の取りまとめ役であっただけに過ぎないのだが、まあ、取りまとめ役になれるだけ、他の人よりは優れた資質と運を持っていたからだとでも理解するしかない。

 

私にできることは、あまり人々には知られていない、こうした人物たちを取り上げた作品を探し出して、味わうことだけである。