脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

主張するところは、かなり難度の高い理想論だが、挑戦してみなければ何物をも得られないというのも事実『金持ちフリーランス貧乏サラリーマン』読後感

 

 20代でフリーランスに転じ、現在もフリーランスとして働き続けるとともに、そのサクセススキルを「人生逃げ切りサロン」という会員制のサロンで公開もしているやまもとりゅうけん氏の、題名通りの一作。サラリーマンで居続けることのデメリットと、フリーランスのメリットを徹底的に比較している。

 

氏は、「資本主義経済における評価の尺度はいかにお金を稼ぐことができるかである」と断言し、1円でも多くのお金を稼ぐためにはどうしたら良いのかを簡潔ながら力強く語っている。私なりにごくごく荒っぽく要約してみると以下のようになる。

 

1.サラリーマンとして成功する(多額の収入を得る)ことができるのはほんの一握り。

多くのサラリーマンは時間を切り売りするという非効率な方法でしか金を得ることができず、時間の切り売りをしているうちは、得られるお金は低いまま。

しかもサラリーマンという身分は、時間以外にもさまざまな制約があり、非常に生きづらい。

2.フリーランスは自由な働き方が可能。

もちろん巨万の富を得ようとするならば、それなりの苦労は必要だが、「逃げ切る」すなわち、一生不自由ない生活を送る程度のレベルの収入を得続けていくのはさほどハードルの高いお話ではない。

さまざまな「保障」もないという不安要素は常に付きまとうし、勤務する企業の「格」から得られるステータスもないが、それでもがんじがらめに縛られて、非効率的な時間の切り売りを強制される生き方に比べれば、自由度ははるかに高いし、得られる利得も多い。

3.フリーランスとしての武器は「専門性」とそこから発展した「影響力」。

一般大衆に広く受け入れられるようなスキルやネタではなく、特定の分野部門で必要性の高い技能や知識を身につけておくことが肝要。その特定の分野で実績を積み「影響力」(人々の行動を変えさせるような力)を持つことができれば、仕事は自然と回ってくる。

 

4.最終的な理想形は自らが手を下さなくても、仕事が完結する仕組みを構築してしまうこと。

すなわち技能的に信頼のおけるフリーランス仲間に仕事を委託していき、仲介料をもらうという方法だ。先に述べた「影響力」を身につけることができれば、技能の高いフリーランス仲間は自然と集まってくるそうだ。もちろんその仲間たちの仕事を担保する目利きとしての修練を積むために自らも難度の高い業務に携わり続けることは必要。

 

で、影響力を得るためにはどうしたら良いか?手持ちのお金を貯金に回すのではなく、自らのスキルアップや可能性の追求に使用しなさい、というのがその答え。

そしてスキルアップの具体的なノウハウについては「人生逃げ切りサロン」に参加して学んでね!!というなかなかに上手い誘導がなされている。読む人にあからさまなセールストークであると感じさせずに、自然と「俺も参加してみようかな」という気持ちにさせてしまうあたり、「影響力」の使い方に関してはかなり手慣れたものを感じる。決してネガティブな意味ではなく、「フリーランスへの転身についちゃ検討の余地は十分にあるな」と考えさせる契機をくれたのは事実だ。まあ、私が地方移住を決め、「このままの勤務形態で良いのか」と真剣に考えるための「参考書」として目についた本なのだから、そうした契機になってくれなければ困るシロモノではあったが…。そういう意味では見事に期待に応えてくれた一冊ではあった。

 

この文の題名にも書いたとおり、物事は「やってみなけりゃわからない」。私は会社生活においては、世間一般で通用するようなレベルのスキルは全く身に付かなかったが、文章を書くことを嫌とは感じない根性の悪さ(笑)と、役立たずで雑多な知識はゴミ屋敷並みには持っている。この「資産」をどう活かして、人生を逃げ切るに足る文筆業者になるか、については挑戦していきたいと思う。

なおやまもと氏は、フリーランスで食える目処がつくまではセイフティーネットとして、会社に勤務してくことも推奨してくれている。両親公務員の一人息子として、「企業に奉職して安定した収入を得ることこそが最大の幸福」という信仰を叩き込まれながら生きてきた身としては、いきなりフリーランスになってしまうことは、それこそキリスト教徒からイスラム教徒に宗旨替えするような重大な決断になる。

当面は「仮面浪人」として、会社にぶら下がり続けようとしている私の姿勢を肯定してくれたことにもなる(笑)。

文筆業者へと向かう「本気度」のレベルを一段あげてくれた一冊だった。