先週、姪っ子の初節句記念祭に参加するために帰省したついでに、実家にほど近いモデルハウス展示場を見学してきた。
2月の半ばの打ち合わせで、設計図を見せてもらい、かなり具体的な像が頭の中には浮かぶようになったとはいえ、建築材質の触感や実際の空間の感覚など、やはり具体的に見ておいた方がいいと判断したためである。
コロナ禍の関係で、最近のモデルハウス展示場は、予約が必要。というわけで、事前に4社ほど予約して訪問。1社あたり約30分で計2時間ほど、たっぷりと各社のセールストークのシャワーを浴びてきた。
俗に「映画は総合芸術だ」などという。台本、演出、カメラワーク、役者の演技に音楽まで、確かに視覚、聴覚に訴えかける全ての要素があるのが映画であり、総合芸術の名に相応しい。この表現に即していうなら、「家は総合技術だ」とでも言おうか。雨露をしのぐことは基本中の基本で、耐震性、エネルギーの効率的使用方法、衛生管理システム、収納などの全ての技術を詰め込んで、「快適な暮らし」を創出する建築物が家だ。
見学した4社は各社各様のアドバンテージポイントをたっぷりとアピールしてくれた。群馬県産の木材にこだわるところもあれば、災害に強い構造を謳うところもある。コストパフォーマンスの良さをウリにするメーカーもあれば、外壁の手入れの良さを筆頭とするメンテナンスの容易さをアピールしてくる会社もあった。
例えば服や、家具など嗜好性の強いモノとは違い、優れた技術力の集積こそが最終的には生活の快適さ、安全性の担保となるという説明が共通してなされ、その上で、自社の強みはどこかをアピールしてくるというある種の「文法」みたいなものが統一されていて、非常の比較がしやすかった。私は非常に嗜好性が強い商品の営業職にいたことがあり、「最終的にはお客様の好みの問題ですね」という結論に帰結してしまうことが多かったため、この、技術の集積としての差異性の明示と、コストとの兼ね合いを具体的に提示してくれる説明方法は新鮮だったし、わかりやすかった。本来、商品の説明というものはかくあらねばならぬ、という見本を見せてもらった思いだった。
ただ、どれだけ優秀性をアピールされても、最終的には親戚に頼む、という基本線は変わらず、そういう意味では、懸命にアピールしてくれている皆様には申し訳なさを感じながらの見学となった。なんだか、常に居心地が悪い思いを引きずってた。
さて、この日の一番の収穫は靴の収納スペースの実例を見られたこと。設計事務所から提示された案よりはやや大きめなシューズクロゼットのあるモデルハウスを見学したのだが、私も最高権力者様も「今の設計図にあるシューズクロゼットと玄関の広さは合わせて半分ほどでいいから、その分LDKを広くしてほしい、との思いをほぼ同時に抱いた。しょせんは夫婦二人の住まいであり、別に履き物に凝る趣味も持ち合わせてはいないので、今あるものが収まればそれでよく、いきなりナイキのスニーカーのビンテージものを収集しようなんて気は起きないだろうから、必要最低限の空間で良いという要望を、早速親戚筋に伝え(モデルルーム見学後にその親戚筋と打ち合わせる予定があったのでその席で伝えた)、その場で設計図を修正してもらった。
親戚筋との打ち合わせでは、2階で物置に使用しようとしていたスペースの「部屋」への昇格が提案されてきた。最高権力者様の嫁入り道具の箪笥を収納しようとするとウォークインクロゼットには入りきらないため、急遽、一部屋追加したのだそうだ。その影響で、屋根の形も少々変わることになったし、2階の居住可能スペースが広がったことで、固定資産税の金額も変動するようだ。こういう選択は実に難しい。最高権力者様は、その変更案を見て、物置は物置のままとすべく、大型の箪笥を一棹手放すことを考えたそうだ。私は「大きいものを小さくする(使う)のは簡単だが、小さいものを大きくするのは難しい」という考えを彼女に伝え、彼女もそれに納得し、結局一部屋追加することとなった。
というわけで、今月下旬の次の打ち合わせの際には完成予想図のスケッチが出来上がるそうだ。また一つ、イメージが具体化した。今は色々なことを考えることに関しては煩わしさよりも嬉しさの方が大きいから、どんな経験も、知見もポジティブに考えられている。後からドッと疲れてしまいそうではあるけど。まあ、新居の新しいベッドの上でゆっくり休む日を夢想しながら、やるべきことを片付けていく。