脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記74(消えない目の痛みと充血、母親の容体)

目の痛みが消えない。ずっと充血したままでもある。

 

医者は「一番強力な薬を処方します」と言ってくれ、実際に薬を点すとしばらくの間痛みは去るのだが、またぞろ痛み出す、というのを繰り返してはや一週間。

一番痛いのは、PCやTVの画面など1m以内の距離くらいにあるものを見ていて次の瞬間に急に手元を見るときだ。例えば、TV画面を見ながら抜いた鼻毛を詳細に観察しようとするような時だと思ってもらえば良い。最近では、無意識に鼻毛を抜こうとすると、目の痛みの方が先に想起されてしまい、手を止めることがしばしばだ。条件反射としての痛みが定着してしまったのだ。おかげで、チラホラと白髪の混じる鼻毛は伸び放題だ。

 

以前にもチラっと触れたが、とにかく、目が痛いというのは思った以上に行動を制限される。TVを見るのも、電子書籍の画面を見るのも、仕事のためにPCの画面を見るのも、全て目を使わざるを得ない。日頃の生活の中で「視覚」に頼る場面のなんと多いことか、に改めて気付かされた。目が痛いということは、日常生活のほぼ全ての瞬間に不快感を感じているということだ。のみならず、先日は就寝中に目の痛みで目覚め、翌日仕事を休む羽目にも陥った。炎症への悪影響を考えて、飲酒は控えなければならないから憂さ晴らしもままならない。傷んでいる部位は高々数センチ平方程度だが、制限の幅はだだっ広い。

 

これだけ症状が長引くと、目の表面というよりは、例えば糖尿病のような障害のせいで、目の先にまで栄養が行き渡っていないせいなのかとも勘ぐりたくなってしまう。残念ながら、そういうことも十分に考えられる年回りになってきてしまっているのだ。とりあえずは、医者の言う通り、最高強度の薬の点眼頻度を上げて、痛みを抑えるしかない。

 

年回りといえば、私の実母だ。まだ80手前なのだが、コロナ禍で我々夫婦の帰省頻度が下がったせいか、老いの進行が一気に進んでしまったようだ。2軒の親戚から衰えを指摘する声をもらったことをきっかけに、医者に診てもらったら、認知症の入り口にいるという診断が下された。ただし、まだ、適正な投薬治療で、進行を食い止めることは可能だとのこと。自動車の運転もまだ大丈夫だとは言われたのだが、そろそろ本気で、身の回りの世話を焼くことを考えないといけない状況下にはある。

 

本人は「至って元気で、全然心配ない」とはいうものの、本人の自覚と、実際の能力に乖離が生じているのは事実であり、こうした乖離は往々にして悲劇を生む。典型的な例が、池袋の暴走事故死事件だ。あれも運転者本人の「大丈夫」という認識と、実際の身体の作動の鈍さが招いた惨劇である。うちの母親だって、いつ同じような状態になるかわかったものではない。被害者はもちろんのこと、事故を起こした本人にとっても大きなダメージが残る。

 

というわけで、真剣に故郷への移住を考えざるを得なくなった。今週末に帰省し、移住(と自宅建築)について、少し突っ込んだお話をしてくる予定だ。家ができるのは半分嬉しい話だし、最終的には、地元には帰るつもりでいたので、その時期が少し早まっただけと考えることもできる。コロナのおかげで在宅ワークに対する社会的、心理的な壁も低くなったことだし、新しい生活様式謳歌して、そのうちTVにでも出てやるか(笑)。やけっぱちで、そんなことでも考えていないと、考えが悪い方悪い方にハマってしまいそうな気がする。