脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

高橋ワールド全開の超大作。スケールデカすぎ『ツリー(上下巻)』読後感

 

ツリー : 1 上 (双葉文庫)

ツリー : 1 上 (双葉文庫)

 

 

 

ツリー : 2 下 (双葉文庫)

ツリー : 2 下 (双葉文庫)

 

  久しぶりに読んだ、SF小説らしいSF小説。ついでに言うと、久しぶりに読了した「紙の本」だったりもする。

 

高橋克彦氏は、多彩なテーマを縦横に操るエンターテインメント小説の第一人者。浮世絵をモチーフにした推理小説をスタートに、SF小説、東北地方の人物に焦点を当てた歴史小説、江戸時代や明治時代初期を舞台にした時代小説など、どれを読んでも楽しめる。高橋氏の発想は月並みだが、本当に汲めどもつきぬ泉の如し。シーンの描写の中に、さりげなく、説明っぽくない状況の解説が入るのも巧みだ。ついつい、おもいっきりの説明を入れてしまう自分のテクニックのなさを思い知らされる、なかなかに残酷な筆はこびだ。

 

さて、標題の作は、岩手出身の高橋氏が、たびたび作品の舞台にし、また並々ならぬ思い入れを持つ土地、青森が「主戦場」となる、長編SF小説だ。高橋氏は、エッセイなどで、「神≒宇宙人」説を唱えており、ストーンサークルなどの数々の遺跡から彼らの集積地の一つは東北の山中にあるとも考えておられるようだ。あまり人が立ち入れない、危険地帯が数々あるところも、高橋説の後押しをしているようだ。なるほど、私の経験から言っても、彼の地に残る自然は、人々の接近を許さない峻厳さを持ち合わせており、想像を膨らます余地は十分にある。

 

物語は、書評家の「私」を狂言回しとして展開する。「私」が選考に関わった文学賞の新人賞に奇妙な作品がエントリーされたことがきっかけ。この作品のレベルは賞に値するものではないとの評価は下されたものの、ストーリー中に出てくるいくつもの数式が非常に高度なもの(大学にあるコンピューターを用いて検証するのに5分くらいかかる、という設定。私ならシステムがフリーズしたと判断して、強制終了してしまうレベルだ)であることに着目した一人の評論家が激賞したため、編集者の頼みで「私」は著者を探すことになる。新人賞に応募してきた風森なる人物は、なぜか、応募後連絡が取れなくなっていたのだ。

 

手がかりとなるのは、風森がプロレスラーであったこと。彼の所属していた団体の仲間からの情報などから、八甲田山の近くの村が本籍地であるとつきためた「私」はその村に行ってみるが、本籍地を示す場所には人家が全くないという状態。それでは、と次に関係のありそうな手島という人物が住むという弘前の邸宅を訪ねていく。「私」は一人ではなく、本籍地の村近くの住人である青年、政夫をともなうが、結局収穫なし。そこで「私」は一旦帰京するが、興味をもった政夫は監視を続ける。で、いきなり政夫は事故死。これはいよいよ怪しいということで、「私」は改めて弘前を訪れて風森を本格的に調査しようとするが…。ということで、ほんのさわりだけだが、今回のストーリー紹介はこれで終わり。本の分量的には全体の10分の1にも到達していない。この後は読み進めていけば、勝手にドキドキしてくる。なにしろストーリーの前提条件が荒唐無稽なのに、リアリティーってやつが否応なしに常識の枠をはめてくるが、常にその常識の枠を上回る出来事が出現し続けるのだ。そんなこんなで、結構な厚さの二冊の本、ほとんど一気読みに近かった。腰巻に踊る「徹夜注意!」の文字がちっとも大袈裟ではない。

 

一つだけ、物足りなかったのは、結局いわゆる必殺技が『総門谷』の初期作品と同じものだったということ。これ、どこかで一回読んだよな、という意識は純粋なドキドキ感みたいなものをやや阻害する要因となった。まあ、その必殺技は、さまざまにややこしい設定が重ならないと使えないところが、一捻りしてある。その必殺技は、必ずしも味方の有利になるようにばかり働くわけではないので、敵もその力を利用するために様々な策を巡らすのだ。さらにいうと、この必殺技は、最後の最後で、とてつもなく大きな場面で使うことを想定して、ものすごく長い年月を使って編み出されたことがわかる仕掛けになっている。あまりに壮大な使われ方すぎて、今までのストーリーが一気にどっかに飛んでしまうようなショックを受けた。

 

とにかく、一度読み始めたら、最後まで読まないことには絶対に気の済まなくなる作品であることは事実だ。そして、読後しばらくは、何かちょっと人とは変わっている人物に対して、「もしかしたら、風森の仲間みたいなやつなのかも…」という思いを持たざるを得ない作品である。