脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

努力するものは、楽しむものに勝てない『英語多読 すべての悩みは量が解決する!』読後感

 

 何度かこのブログでも書いているが、私の本年初の担当業務は所属部署内の英語学習の推進だった。その後紆余曲折を経て、現在英語学習推進は私の業務ではなくなっているが、部署として、というより会社全体として英語力を鍛えていくという方針には変わりない。

 

海外の企業との取引も増えたし、積極的に外国人を採用していることもあり、社内の通知なども日本語と英語両方で書かれるようになった。どこやらの企業のように社内共通語を英語にする、という段階にまでは至っていないが、英語が事実上半ば共通語化しているというは事実であり、この傾向が進むことはあっても、退行する事はあり得ない。英語は「使えればかっこいいし、一目置かれる」というものから「使えないやつはバカだ」という存在になりつつあるのだ。

 

とはいえ、私の所属する部署にはいきなり外国人から電話がかかってくるようなこともないし、分厚い英語の文書がいきなり届いて、明日までに返事をよこせなんて事態も出来しない。つまり「使わなければ使わないでなんとかなる」部署ではある。

 

というわけで、英語を勉強しましょう、と声を張り上げても、口だけで「わかりました」と言っては逃げている、このブログでも繰り返し罵倒してきた若ハゲマッスルバカのような存在が出現してくる。しかもこういう「入試を受けたら絶対にスベるので、スポーツ推薦で入った難関大学出」だということを自慢にしている脳筋バカは、自分だけが逃げるならまだしも他人まで巻き込んで「英語なんかやる気になりませんよねー」という空気を醸成するから余計始末に悪い。テメエが後から泣きを見るのは自業自得ってやつだが、他人まで泣かすようなことをするんじゃねーよ、この毛根は脱毛症レベル、中身は猿レベルに退化した頭部を持つマッスルバカが、という悪罵は「ストップ絶叫」して手をパチンと叩いて一旦頭の中から追い出そう。

 

このマッスルバカは極端な例だが、なんとなく「別に今やらなくたって、必要になったらやればいいじゃん」ってな空気が部署全体に漂っているというのも否めない事実だ。学生時代に英語に苦しめられた人は少なくないだろうし、何につけ、勉強は面倒臭いものだ。勉強だけしていればよかった学生時代だってろくに勉強しなかったのに、毎日仕事で疲れた上に強制的に勉強させられるなんてのはうんざりだ、という気持ちも理解できる。私も仕事で必要になって慌てて英会話スクールに通ったクチだ。その後はその英会話スクールに使ったカネを無駄にしたくないということをモチベーションに学習を続けてはいるが、気がつくとサボっている(苦笑)。

 

ここでタイトルの言葉が効いてくる。無理にしている努力は結局苦しいとか辛いという気持ちに負けてしまう。やっていることを努力ではなく楽しいと感じられれば、毎日黙っていても英語に触れる機会は増えていく。

 

では、どうしたら英語学習が「楽しく」なるのか?例によってだいぶ前置きが長くなってしまったが、一つの答えが標題の書で紹介されている「多読」だ。

 

方法は簡単。三つの法則を守って、自分にとって興味のある内容の文章をどんどん読んでいくというものだ。

三つの法則とは

1.辞書は捨てる

2.分からないところは飛ばす

3.自分に合わないと思ったら投げる

 

である。まずは課題とされたテキストを読んでみて、分からない単語は辞書を引いて調べて意味を理解していく、という受験勉強を通過してきた身としては、この三原則には最初目を剥いた。だが、確かに考えてみれば、課題とされたテキストを読んで辞書引いて、というのは明らかな強制であり、文章の内容も全く面白みには欠けていたという記憶しかない。なるほど学習としての英語は努力を要するものだ。

 

人によっては読書するのも苦手で、という人もいるかもしれないが、少なくとも私は本を読むのは好きなのでこの「多読」という方法は有効かもしれないな、とは感じた。物は試し、と早速アマゾンで簡単に読んでしまえそうな「ラグビー小噺」の本を見つけて読んでみた。

 

You Know You're a Rugby Fanatic When... (English Edition)
 

 確かに簡単に読めたし、読むのは楽しかった。時折、笑いのツボに関わる重要な単語が分からなくてイラつく事はあったが、概ね、読み飛ばして、意味が取れた。本当にわからない単語は辞書を引くしかないが、全ての意味を調べるよりは労力セーブにつながるので、「面倒くさい」という気持ちにもなりにくい。

 

実はこの「多読」という方法も一度紹介はしたのだが、残念ながら、マッスルバカだけではなく、そもそも英語の本を手に取る、あるいは英語のサイトをのぞいてみるという程度の手間をかけることも面倒くさがる人が大半だった。若手と言われる年齢層の場合は、活字離れ•文字離れを起こしているということもある。読み始めさえすれば、楽しい世界が待っているのになぁ…、とは思うのだが、そこで背中を押す決定打は今のところ見つけられていない。最終的には個々人の「やる気」に帰する問題なので、物事の第一歩であるとともに、実は一番難しい問題だ。

 

さて、私はこの「多読」という方法を何度も挫折しているフランス語の習得に用いてみたいと思う。英語はある程度やるべき事はわかっているし、モチベーションもそれなりに持ち合わせているので「受験勉強」に勤しむことにしている。大学時代にアーベーセーくらいは習ったとはいえ、街に跋扈しているフランス語と思しき単語の言葉をすぐには思い出せない、初心者レベルに落ちて久しい。錆び付いたフランス語が「多読」によってどこまで向上するのか、楽しみながら学習したいと思う。