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嫌いと感じることは戦闘態勢に入っているということ『嫌いなヤツを消す心理術』読後感

 

嫌いなヤツを消す心理術

嫌いなヤツを消す心理術

  • 作者:神岡真司
  • 発売日: 2016/12/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

再三再四、このブログで罵倒しているが、私の現時点で一番嫌いなヤツは同じ部署のマッスルバカこと、一流大学にスポーツで入って、勉強らしい勉強を全くせず、頭の中身は中学生並のまま卒業し、スポーツで会社に入ったド低能男だ。自分がバカなままのだけなら「所詮、運動『だけ』やってきたヤツなんだからバカで当たり前だ」で済むのだが、自分のやる気のなさを他人のせいにし、あまつさえ、そのやる気のなさを他人にまで感染させてしまうバカだから始末に悪い。おまけに本人は皆にやる気のなさを感染させたことを「リーダーシップの発露だ」とでも感じているようだから、文字通り手に負えない。唯一の取り柄であるスポーツの団体からも早々に見放されてしまった今になっても、何かを学びとろうという姿勢が一切見られないから、こんな奴は雇っておくだけ無駄だと思うのだが、簡単にクビにはできないところが会社経営の難しいところだ。もっとも雇っておくだけ無駄、という言葉は私にも思いっきり当てはまってしまうので、会社経営の難しさの恩恵に預かっているという意味では同じ穴の狢なんだけどね…。

 

というわけで、私は、一般的な人々が嫌いなヤツに対する反応としては王道である、こいつのことを完全無視するという態度をとっている。リモートでの会議などの際に、こいつが発言する際は、わざわざ顔を背ける様をカメラに映してやっているくらいだ。当然、こいつが何を言おうと、聞いてないし、反応も返さない。

 

実はこの態度、実に無駄なことなのだ。無視をするということは意識しているということだし、反応しないと決めて会議に出るということは、こっちが一方的に相手に喧嘩を仕掛けているのと同じ。結局は嫌な感情を引きずって、疲労をためてしまうだけなのだ。

 

では、標題にあるように、嫌いなヤツを消すにはどうしたら良いのか?ごく荒っぽく要約してしまえば、積極的に「嫌う」のではなく、存在を「気にしない」という気持ちを作り上げることである。気持ちを作り上げるための詳しい方法は本文に懇切丁寧に書いてあるので、是非とも参照いただきたい。

 

「嫌う」という感情は相手と自分との差異に気味の悪さや恐怖を感じた時に起こるそうで、そうした場合に、人間は無意識のうちに心身ともに戦闘態勢に入るのだそうだ。気持ちも各所の筋肉も緊張するし、戦闘に必要な物質も分泌される。一日中無意識に戦うための状態を維持していたら、それはそれは疲れるはずだ。著者神岡氏の説明はストンと腑に落ちた。

 

何度も思ったことではあるが、あんなバカにエネルギーを奪われることこそが一番バカらしいことなのだ。バカな人間は風景の一部だ、くらいに達観できることが望ましい。そしてその達観はトレーニングで身につけるしかない。

 

でもどうしても、殺してやりたいくらい嫌なヤツだ、という場合は、殺してしまっても良い。と言ってもいきなり出刃包丁で刺すとか、金属バットで殴ることを推奨しているのではない。あくまでも想像の上でできるだけ、苦しめて殺してやれば良いのだ。具体的にはノートでも紙切れでも良いから、嫌いなやつが、散々に苦しめられる様子を詳細に描写するのである。ただしこれは最終手段。本当に、それこそ殺したいと思う相手にのみ適用する方法だそうだ。大体、苦しいと思う状況をノートに半分も書き綴れば、大抵の場合は疲れて、それ以上は筆が進まなくなると思う。走り込みが苦しいのと一緒だ。そんな苦しい思いをするなら、と思い切れればしめたモノだし、苦しさを上回る憎さがあるのなら、満足するまで続ければ良い。私の場合はせいぜいこのブログで罵倒すれば、おさまってしまうくらいの嫌悪感でしかない。その割に繰り返し言ってるな、というツッコミは甘んじて受けておく。ここでの罵倒はとりあえずの応急処置であって、本当の怒りはまだおさまっていないというのは事実だ。少なくともこのマッスルバカと一緒に酒を飲みたいとは今のところは思えていないので、まあ、皆と一緒の場にいるのは仕方ないか、と思えるくらいになるまでは、罵倒し続ける事にする(笑)。