脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

より少なく、しかしよりよく生きる『手ぶらで生きる。見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法』読後感

 

手ぶらで生きる。見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法

手ぶらで生きる。見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法

 

 数年前から「断捨離」という行動が世に出て、一種のブームとなっている。断捨離に関する方法論の本を出ている数だけ集めたら、逆に本棚が溢れかえってしまいそうな盛況ぶりである。そして、この行動を突き詰めて、生活上の根本哲学とし、実践する「ミニマリスト」なる人々も出現した。

ミニマリスト諸氏の論旨は単純明快だ。自分の生活に本当に必要なモノは何かを見極め、最低限必要なモノだけに囲まれて暮らす、というモノである。

 

著者であるしぶ氏などは、世の常識としては「生活必需品」であろうとされる、布団や冷蔵庫まで持っていない。寝る時は、何もない部屋の好きな場所で毛布にくるまって横たわる。食料は一食で食べきれる量を都度都度購入する(しぶ氏は一日一度しか食事を摂らないそうだ)。TVもラジオも書籍も音楽もPCとスマホがあれば事足りる。部屋に備え付けの風呂だって、会員契約したジムでシャワーや風呂を使うから使用しない。服は同じデザインのものに統一し、毎日着回す…。

 

こうして、日常生活にの中から、モノにまつわるエネルギー(カネ、時間)を徹底的に切り詰めて、それを自分の好きなコトを実現するために使うのである。

 

いやはや。理屈としては非常によくわかるのだが、いきなりしぶ氏のレベルまで達観してしまうのは、流石に私には無理だ。

 

私がこれまで半世紀にわたって積み重ねて来た、モノの数はある程度豊かさを象徴する、という価値観と、その価値観を反映したモノたちをいきなり全部捨ててしまうのは、文字通り自分の今までを全て捨て去ってしまうような思いにとらわれるからだ。また、共同生活者として配偶者がいる身でもあり、彼女の意向も考慮しなければならないということもある。

 

というわけで私は、部分的に徐々にモノを減らすコトを心がけて行こうと思う。

 

例えば服。以前メンタリストDaiGo氏のやはり断捨離に関する著作を読んだ際に「服は、高級なものと気に入ったものだけに絞り込むべし」というくだりがあったのに倣い、この二点に合致しないものはほぼ全て処分した。例えば書籍。以前は本屋で月に数度、心ゆくまで衝動買いするのが「娯楽」だったのだが、現在はまず電子書籍をチェックし、極力物体としての本を増やさないようにしている。もっとも、その分電子書籍の衝動買いが増えてしまったので、電子書籍のライブラリーとカネの消費は変わらない(むしろ増えている)のだが…。あとは全般的に購入そのものを控えるようにはしている。とはいえ、今年のようにラグビーワールドカップ などというイベントがあると、「四年に一度じゃない。一生に一度だ」というキャッチコピーにまんまと乗せられて、各国代表のレプリカジャージを大量に買い込んでしまったりもする(苦笑)。

 

さて、ミニマリストを目指すかどうかは別にして、自分の生活の中のノイズをそぎ落せるだけそぎ落とし、やりたいことにエネルギーを特化していくという姿勢は見習うべきである。欲しいモノを買うためのカネを得るためには働かざるを得ない、という考え方から一歩引いて、そもそも自分が欲しているものは本当に「モノ」なのか?本当に自分が目指すものはなんなのか?を突き詰めて考えてみることは誰の人生にとっても重要なことだ。この、自分の心の奥底を確認してみることが、しぶ氏の主張する「自分の生活を取り戻す」ことへの第一歩だし、断捨離の基本理念でもある。

 

折しも年末、大掃除の季節である。今年の大掃除では「いらないモノ」の基準を大幅に緩くして、いかに物理的な空間を広くできるかにチャレンジしてみようと思う。