脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

私はイチローが好きではない。 『野村のイチロー論』読後感

 

野村のイチロー論

野村のイチロー論

 

 タイトルにした言葉は、最初の章である「はじめに」のしょっぱなに記されていた言葉である。

 

この本は昭和・平成の世を代表する名監督である野村克也氏が、日本プロ野球史上はおろか、米MLB史上においても稀有なプレーヤーであるイチロー氏のことがなぜ「好きではない」のかの理由を述べた一冊だ。

 

まず野村氏はイチロー氏のプレーヤーとしての才能と実績については大いに評価していると語る。凡人である自分からすれば、イチロー氏は、特に打撃については及びもつかないような天才だと評しているのだ。もっとも、自分自身を「凡人」と評しているのは少々謙遜がすぎるオハナシで、通算657本塁打王貞治氏につぐ日本球界第二位の記録であり、戦後初の三冠王に輝くなど、強打者としてレジェンドと言ってよい存在だ。そのレジェンドが「天才」と評するのだから、どれだけイチロー氏の打撃が抜きん出ていたのかがうかがい知れる。実際に米MLBでは3000本以上の安打を放ち、日米通算では世界一の安打数を誇る。

 

さらに、俊足で盗塁数も多く、俊足に裏打ちされた守備範囲の広さも評価されている。右翼の守備位置から、三塁または本塁めがけて放つ、矢のような送球は「レイザービーム」と称され、イチローの代名詞の一つともなった。走攻守全てに渡って非の打ち所のない名選手なのだ。

 

では、そんな名選手を野村氏はなぜ嫌うのか?

 

一言で言ってしまうと、「自己中」だからである。個人でいくら活躍しても、チームの勝利に結びつくことが少なかったからだ。

 

例えば、MLB史上最多安打を記録した2004年、所属するシアトル・マリナーズの成績は4位。イチロー氏の安打がチームの起爆剤になるどころか、「イチローは自分で安打を打つことだけを考えて、自分勝手なバッティングばかりしている」としてチームメイトからバッシングまで受けていた。圧倒的な成績を残しながらも、チーム第一という姿勢を崩さずに、チームとしての力を保持していたV9時代のON(王貞治氏、長嶋茂雄氏)のような「キャプテンシー」が欠如していた、と喝破しているのだ。

 

このイチローの「自分さえ良い成績を残せば…」という意識が端的に表れた事例として、野村氏は1996年のオールスター戦での出来事を挙げている。9回二死となり、打席に松井秀喜氏を迎えた場面で、当時のパリーグの監督仰木彬氏が「ピッチャー、イチロー」を告げたのである。策士仰木氏の面目躍如たる選手起用ではあったが、セリーグの監督であった野村氏は烈火のごとく怒り、松井氏の代打に投手の高津臣吾氏(2020シーズンはヤクルトの監督に就任)を送った。私はこの場面をTVで眺めていたが、どちらかというと、「シャレのわかんねーおっさんだな」と少々興ざめした覚えがある。

 

しかしながら、最近野村氏の著作をいくつか読んで、野村氏考えの方がもっともではないか、と考えさせられた。オールスターというお祭りであるがゆえの「シャレっ気」だったとしても、プロの、それも巨人の四番打者に対して、「素人」を起用してくるというのは冒涜以外の何物でもないし、仮に松井氏が打ち取られたとしたら、後々の世まで「松井は素人に抑えられてしまった」という傷を負うことになる。そして、いくら監督に言われたとはいえ、そんな場にひょいひょい出てくるイチロー氏は、自分が目立てば良い、という意識しか持ち得ない人物だとみなすしかない、という結論に至ったというのだ。野球人の前にまず、一人の社会人として立派な人間であれ、という持論を持ち、選手をそう教育する野村氏ならではの視点である。

 

文中では、イチロー氏がプロ入り時する際のドラフト会議では投手としてしか見ていなかったため指名を進言しなかったスカウトを叱り飛ばした、というエピソードも紹介し、「もしイチローが私の監督下に入ったら、もっと人間的な成長につながるような教育を施した」とも述べている。

 

うーん、難しい。野球は相手よりも1点でも多く獲ったチームが勝ちという競技で、相手よりも点が少なければいくらたくさんヒットを打とうが意味がないという考え方もあれば、一方で、突出した個人技を魅せるのが「プロ」野球選手という考え方もあり、これはこれで魅力的な考え方でもある。前者を突き詰めたのが野村氏、後者の代表がイチロー氏であり、これはどちらが良いとかいう比較はできない考え方なのではないか。「イチローは間違っている」ではなく「イチローが好きではない」という言葉に込めた野村氏の思いはこの揺らぎを示しているのであろう。監督としての野村氏は組織を勝たせることに重点を置くが、選手としての野村氏には天才イチロー氏への憧憬と尊敬があるからこそ、野村氏としては珍しい曖昧な表現になったのだ。