脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.148(お題と3回目のワクチン接種余波)

今週のお題「試験の思い出」

 

まずは、3回目ワクチン接種について。

2/23に地元の自治体で、たまたまキャンセルかなんかが出た枠に運良く滑り込み、接種を受けた。前2回の職域接種と同じモデルナ製。元々住民がそれほど多くない自治体である上、時間がほぼ朝イチだったのと、きっちりと予約人数を時間毎に設けてあったせいで、すんなりと受付、問診、接種と進み、15分の経過観察時間を考え合わせても30分足らずであっさりと終わってしまった。

 

係員の対応も慣れたモノだったし、高齢者の介助を想定してやや多めだった人員配置も適正。「負けて覚える相撲かな」ではないが、前2回の接種を経て、経験値が上がり、修正すべきところをしっかりと修正した結果の快適な接種対応だったように思う。こういうところで得た、知識、経験はぜひ組織知として残していて欲しいものだ。次回に同様な事態が出来した場合には必ず役立つはずだ。もっとも、コロナみたいな異常事態がそうそう発生してしまっても困りモノだが(苦笑)。

 

現在私が所属している部署(部署というより会社全体の傾向だが)などはこうした「組織知」が最も必要でありながら、実はそれが最も欠如していて、前任担当者が異動したら次の担当者が散々トラブルに見舞われるなんてことが常態化している。ここ数ヶ月、散々新規の仕事の、それもつまんない、細かいさまざまな事に引っ掻きまわされた私としては、この点は大いに見習いたいと思った。私は細かいことも漏らさず、しっかりと資料を作って後任者に引き継ぎたいと思う。後任者が資料を読むかどうかは甚だ疑問だが(笑)。

 

さて、接種後の副反応は今回が最も酷かった。一度目は接種翌々日にひどく頭痛がして1日休み。二度目はモデルナアームと称される腕の痛みが出た他はほとんど日常生活に影響なしだったのだが、今回は接種日の夜から発熱し、翌日はずっと37度台の発熱と頭痛があって1日休んだ。翌々日も熱は平熱に下がったが、頭痛が続いたため、午前中の会議のみ出席し、午後は休み。本当は1日丸々休みたかったが、外すことのできない会議だったため、頭痛と戦いながらなんとか誤魔化し切った。

 

ワクチンへの反応は本当に人それぞれだ。普通に考えれば、ある程度体に「慣れ」が生じた今回が、副反応は一番軽くすみそうだったのだが、私の場合は一番重かった。おかげで、今のところ心身に最もストレスを生じさせる「通勤」をせずに済んだという思わぬ「副作用」もあったが(笑)。そういえば、この家で寝床で丸一日過ごすなんてことになったのは初めてだった。

 

お題の話題に移ろう。

今までの試験で一番記憶に残っているのは、ありふれているが大学受験だ。私は一浪してとある地方の国立大に入学したのだが、現役時は別の地方の国立大と難関とされる私大の一つの学部を受験した。正直、現役時の国立大は数学の試験問題を見た瞬間に諦めた。具体的な内容までは覚えていないが、私にとっては問題の意味すら理解できないほどの超難問だったのだ。一応当時の共通一次ではなんとか足切りに引っ掛からなかったので二次試験には進めたのだが、よくこんな状態で受験できたものだと、試験時間に感じたくらいだから、受かるわけはなかった。

 

実は私の「本命」は私大の方だったので、そっちに受かってりゃ別にいいや、とも思っていた。私大の方は「普通」にできたので受かるものだと思っていたのだ。

そして迎えた私大の合格発表日。私は自分自身の甘さをもう一度思い知ることになる。「普通」にできたはずなのに見事に落ちていたのである。自分の「普通」の状態がこの私大の合格ラインに届いていなかったことが当時の私には最大のショックだった。それまでは「普通」にできていれば落ちた試験なんぞなかったのだ。井の中の蛙とは私のためにあるような言葉だと思いながら、帰りの電車に乗ったことを覚えている。

 

浪人が決定した私は、東京の大手の予備校に通うこととなり、そのためにその予備校の寮に入った。過干渉な母親と離れるためだ。私が一浪してしまったという事実に私以上に落胆したであろう母親は、当時は私の顔さえ見れば非難の言葉を投げかけ続けていたし、私は私でそれに一々言い返してたので、そのままの状態を後2ヶ月でも続けていたら、恐らく私は「両親殺害の元優等生少年A」になっていたであろう。

 

そんなわけで無理やり家を出たのだが、さまざまな誘惑を発し続けるお江戸の魅力に早々に参ってしまい、お勉強よりも遊ぶ方に熱心になってしまった。夏頃の模試の結果が思いの外良くて、油断してしまい、それをそのまま受験期まで引っ張ってしまったこともあるが、浪人時の共通一次の点数は現役時代のそれを下回ってしまったのだ。というわけで第一志望の国立大は現役時代の志望校よりランクを下げるしかなかった。受験直前期は自身の心の中では東京の私大の方に狙いを定めていた。

 

ところが、ここで私はまたも挫折に見舞われる。いわゆる「スベリ止め」のつもりで受けた私大に、思いっきり落ちてしまったのだ。自分の受験番号が合格掲示板になかった瞬間、人生で初めて頭の中が真っ白という状態を体験した。

 

「スベリ止めに落ちたんじゃ、私大は全滅だ…。」映画やドラマならここで、第一志望の学部にだけは合格してたりする「逆転劇」がお約束なのだが、私の場合は予感が的中してしまった。結局私大は全て不合格。文字通り全て「ダダスベリ」だった。

国立大はそのスベリ止めとそのちょい上レベルの大学に連敗中に試験日を迎えた。

正直なところ、私はすっかり不貞腐れていた。「こんな大学、現役の時だって受かったんだ。むしろ現役の時の方が条件は良かった。当時の担任に『(今回受験する国立大に)志望校変えたらどうだ?』と聞かれた時にカッコつけて『挑戦しないで後悔するより、失敗して後悔したい』などと言い放ったことが恥ずかしいだろう。結局、一年かけて何にも学ばなかったってことじゃねーかよ、おい?」実際の受験の直前までずっとこんな考えが頭を巡っていた。

 

受験当日、問題用紙をめくった瞬間、これはいけると思った。開き直ったのが良かったのか、正解できているかいないかは別にして、スイスイ答えが出てきてしまうのだ。もうそれこそ、なんの抵抗もなく英語と国語に関しては全ての解答欄を埋め切って見直しまでしてしまえた。数学に関しても、全問解答とまではいかなかったが、確か四問の大きな問題のうち、二問半はかなりの確率で解けたと確信できた。「これで受からなきゃ、俺はどこの大学にも受からねーわ!」性懲りも無く、つい二週間ほど前のスベリ止め私大の受験終了時と同じ感想を持ってしまったが、この時の方が遥かに手応えがあった。

 

とはいえ、その国立大の結果発表まで私大の受験連敗を続けてしまったため、結果発表を見に行く電車の中は非常に気が重かった。自信がないわけではなかったが、その時点で受かった大学が一つもないという事実は私を打ちのめすのに十分な現実だった。これで落ちたらどうしよう、一人で死ぬか、あるいは実家に帰って母親に罵倒されて、今度こそは何も言い返せずに、夜中に黒檀の木刀で両親を撲殺するか…。

 

そんなことを考えながら、試験の結果発表がなされているであろうキャンパスに来てみたら人影が全くない。ん?発表場所って受験会場と一緒じゃねーの?と慌てて受験要項を見直してみたら、発表場所は受験場所からは車で10分ほどの距離にある大学の本部(当時は小汚い校舎の中に幾つかの研究機関があるだけという、幽霊屋敷のような状態だった。数年前に訪れてみたら、綺麗にリノベーションされて、研究領域も最先端のものになっていた。悔しかったので、一つの校舎に入って、綺麗になったトイレでウンコしてやった 笑)だったのだ。発表の前に、なんだよこの大ボケは?んなもん、今はいらねーの!この間違いって実は人生の中でも最もマズい間違いなんじゃねーの?などとヤケを通り越して、すっかり呆けた状態でタクシーで発表場所に到着。校門のところから掲示板に歩いていく最中、向こうから歩いてくる、にこやかな顔したやつをたくさん見た。その時沸いてきたのは「なんだよ、こんな大学受かったくらいで喜んでんじゃねーよ。2浪でも3浪でもして、もっといい大学目指せよ!!」という全くの見当外れの怒りの感情。自分が行きたくもなかった大学に受かったことを喜んでいる連中が理解できなかった。

 

で、掲示板の前まできておずおずと見上げてみると…、あった!!拳を握り締めてガッツポーズしていたことに気づいたのはその直後、新入部員を勧誘するどこかのサークルのビラを手渡された時だった。おいおい、散々馬鹿にしておいてみっともない。なんだよ、あのガッツポーズはよ?帰りの電車の中で、自分の姿を思い起こして一人で赤面していた。苦々しい感情が消えたわけではなかったが、ともあれ、自死することも、両親を惨殺することも回避できたし、4年間モラトリアムの期間をもらうこともできたんだ、とちょっとホッともしていた。

 

受験の失敗なんぞとは比べ物にならないくらい多種多様な挫折を経た今となっては、浪人したのも、浪人後の受験に失敗し続けたのも、結局は自分の努力不足であり、努力次第でいくらでも回避可能な挫折だったと考えている。世の中、自分の努力だけではどうにもできないことばかりだ。決まった「正解」を出すことが求められる試験なんざ、世の万物の中では御し易いモノの代表格なのだ。これから何かの試験を受けようとしている皆様には、こんなもんは大した試練じゃないってことを頭の片隅において、自分自身に変なプレッシャーをかけずに臨むことを推奨いたします。