脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

継続する緊迫感と意外すぎる結末で見事に楽しませてくれた一作 『誰でもよかった』読後感

 

久々に手にした五十嵐貴久氏の作品。通り魔殺人鬼と警察の交渉人との「戦い」を描いたサスペンス。

 

冒頭は無差別殺人犯高橋のモノローグから始まる。このモノローグと犯行の描写が実在の秋葉原無差別殺人事件の犯人の姿を彷彿とさせる。この作品内の舞台は渋谷のスクランブル交差点。生活の様々なことに不満を募らせた高橋はレンタカーの軽トラで歩行者の群れに突っ込み、車に轢かれて倒れている人々に次々ナイフで襲いかかり11人を殺戮する。

 

殺戮のシーンに関しては被害者側からの視点で描かれており、被害者の恐怖感や突然命を奪われたり、怪我を負わされたりした不条理感とでも言うべきものにより深く共感できる組み立てになっている。そして、五十嵐氏のストーリー展開と描写の巧みさで一気に物語の世界に引き込まれる。知らず知らずのうちに引き込まれてしまう語り口は見事。

 

犯人高橋はこの殺戮の後、スクランブル交差点近くの喫茶店に押し入り、立てこもる。そこで警察が登場。喫茶店の正面の店を借り切って犯人に対峙すると共に、喫茶店を監視し始める。人質の人数も犯人がどんな人物かもわからない中で、犯人との交渉が始まる。そこで登場してくるのが交渉人だ。「交渉人」とくれば五十嵐氏のファンなら『交渉人シリーズ』の遠山麻衣子を思い浮かべずにはいられないところだが、この作品の世界観には遠山麻衣子は存在しないらしい。この作品の交渉人渡瀬は警視庁所属の警部補で、冷静沈着な人物にして、訓練を積んだ交渉のエキスパートというキャクターが付与されている。

 

物語中盤は、警察と犯人が息詰まる睨み合いを続ける一方で、捜査陣が奔走して犯人の正体を突き止める姿が描かれる。そして、手に入れた情報を元に、渡瀬と高橋の交渉も少しづつ進んでいく。

 

ここで、渡瀬の交渉に色々と横槍を入れてくるのが捜査本部の指揮官、横川課長。様々な状況から判断し、慎重に慎重に交渉を進めていこうとする渡瀬に対し、人質の心身の状態への懸念や警察の威信などの観点から、犠牲者の発生も止むなしとして、店内への突入や高橋の要求の拒否などの強硬な策を指示してくるのだ。

 

刑事ドラマや映画などでよく見る、現場の人間が直面している問題を理解しないエリートキャリアの典型例だな、こういう「上」からのプレッシャーをはねのけつづけて、人情に重きを置いた解決策を示すのが「刑事物」の昔からの伝統なんだよな、と思いつつ物語を追う。

 

しかし、徐々に「上からの指示」には読み手である私が違和感を感じることになる。次々に強硬策を指示してくるし、しまいには犯人高橋の説得に両親を起用しろという命令を下すのだ。素人の私ですら、そんなことすりゃ逆効果じゃねーのという感想を持ったし、文中でも交渉のセオリーから外れているという解説が繰り返しなされる。優秀なはずのキャリアの皆さんは何を考えてるんだろうか?こういう人々こそ、自身の保身のためになるべく安全な策を指示するはずだし、「教科書」に忠実でもあるはずなのに…。この違和感はぜひ心の片隅に置いておいていただきたい。

 

結末まで紹介してしまうのは著しく興を削ぐことになるのでストーリー紹介はここまで。あとは是非とも本文をお読みいただきたい。決して損を感じない時間になると思う。

 

最後の最後、実にひねりの効いた結末だったとだけ記しておく。このシーンでの渡瀬はさながら『相棒』の杉下右京氏の如く、冷徹に全ての謎を解説してしまう。そして読者の前にすぐには解決できそうにない、重い問題が提示される。発端は一つの事件であったが、その事件を決着させるための「考え方」は果たして正しいものだったのか?そしてこの「考え方」が認められ、その応用範囲が広がっていったら?と考えていくと恐怖感すら感じるようになる。

 

この結末は『交渉人』シリーズの最初の作を読んだ時に感じた、意外性を思い起こさせてくれた。単なるエンターテインメント作品として読み飛ばしてしまうのが惜しい、深い余韻を感じさせてくれる作品だったと思う。

五十嵐氏の作品の「在庫」はたくさんあるので、しばらく集中して読んでみようかな。などと思いつつ、次の読後感は全く関係のない作品だった(苦笑)。