脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

再読したら超ポジティブになれた一冊 『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』読後感

 Kindle Unlimitedでメンタルヘルス関係の本を検索すると必ず表示されるのが標題の書。確かどこかで読んだことがあるはずだが、内容を思い出せないし、これだけ推奨されるってことはそれなりに私の興味に合致しているのだろう、と考えてKindle Unlimitedを利用して読んでやるかと、購入画面に進んでみたら、案の定すでに購入していた。まあ、興味を持ったのは事実だから再読しようとDLしなおした。

まずは2018年に読んだ際の読後感を引用しておく。

 

″何度か書いている通り、私は両親共に公務員の一人息子だ。両親からは中学時代くらいから、「いい高校、いい大学に入って、いい会社(できれば公務員)になることが一番の幸せだ」と繰り返し、繰り返し叩き込まれた。おかげで、私の精神に形成されたホメオスタシスは、両親の描いていた理想像を外れようとすると強力な現状肯定指令を発令する。クソ上司にド田舎に島流しにされようが、鬱にかかって休職しようが、今の会社に定年までしがみつくことを要求する。そして私は今のところこの指令に逆らうことはできていない。せいぜい、会社をズル休みするとか、業務時間中にこっそりと文章をひねくりまわす程度だ。真面目な生徒が道端で拾ったエロ本を隠し持っている程度の「反抗」しかできない(苦笑)。

 

「俺のしたい仕事はこんなことじゃない」「(通勤も含め)毎日の会社の仕事が苦痛だ」という、モヤモヤした思いを抱えながら、なんとか毎日折り合いをつけて、「理想の社会人」を演じている状態だ。

 

今のままの生活を続けていたら確かに食うには困らないだろうが、死の直前に自分の生涯を振り返ったら、恐らく後悔の念しか残らないだろう。

 

以前、カウンセリング受診のために通っていたメンタルクリニックの医師に言われた「自分の本当に達成したい姿へのアプローチよりも現実との折り合いをつけることが目的化してしまい、結果毎日毎日疲れが蓄積していく」という状態に見事にハマってしまっている状態だ。

 

標題の書はズバリ、自分が本当にやりたいこと、本当になりたい姿を目指すためには、現実肯定指令を出している、頭の中のゴミを捨て去ることが肝要と説いている。と同時に、自分の目指す将来にとって、無駄な出来事は一つもなかった、と考え方を変えることで、苦しかった過去の記憶すら宝物にできるとも説いている。過去の出来事そのものを変えることはできないが、理解の仕方を変えることで、少なくとも苦しみの原因にはならなくなるというのである。

 

私の中に巣食うホメオスタシスは強力で、今すぐに会社を飛び出して、文筆活動一本で食っていく、などという冒険にはとてもじゃないが飛び込んではいけないが、過去の苦い記憶の捉え方を変える、という考え方には、すぐに飛びついた。

 

全てが文章を書くためのネタだったと考えれば、確かに過去の経験は一つも無駄ではない。順風満帆に思った通りのコースを歩んできたら、そもそも苦しむ必要はないだろうが、人生の記録という意味では平凡なイベントの羅列に過ぎなくなってしまうだろう。エリート中のエリートコースを歩んできたはずの何処かの元政務次官みたいにセクハラ問題でも起こせば別だが…。

 

今後は、常に心の片側に会社から飛び出すという考えを持ち、もう片方には様々な事象を観察したり、技術を身につけるということを意識して行こうと思う。会社員として生きてきた人間には、そうでなかった人間には書けない内容や、身につかなかった技術があるはずである。どうせ飛び出すのなら、できるだけネタを拾っておこうと考えるだけで今までとは違う気持ちには変えられそうだ。また、嫌な思いをさせられた野郎どもには目一杯の悪役として登場願おうとも思っている。悪役が魅力的でないと作品が盛り上がらないからね。とは言え、一朝一夕には身につかない考え方ではあるので、修練を続けて行こうと思う。″

 

このブログを書いた時と同様に、なりたい未来の姿から、現在、過去をみてみることで、出来事の意味を捉え直す、という考え方には改めて感銘を受けた。過去、現在の苦労は必ず、未来において報われる、という理想論を現実的社会で思いっきり否定された経験がある身としては、明るい未来を信じる気持ちが薄れつつあったのだが、改めて文筆業者として食っていく、という自分の夢を見つめ直し、意識をそこに結びつけていこうと思う。

 

著者によれば、「食うために働く」という言葉も捨てる必要がありそうだ。今の世の中で「餓死」する人なんぞホンのわずか。コンビニのバイトやら、配送所での荷捌きやら、人手不足の場所はいくらでもあるし、最悪の場合は生活保護を受けたって最低限の生活を営むことは可能。今の仕事をやめたからといって、直接死に結びつく「食っていけない」という状況が出来することなどそうそうはあり得ない、という指摘には少し勇気をもらった。田舎に引っ込んで、今の会社に奉職し続けることに対しての抵抗感が強まることが考えられる現状において持ち合わせている不安感を少しばかり手放せた気はする。

 

もう一つはコンフォートゾーンからの脱却。今の状態が嫌だ嫌だと思いながらもそこから離れられないのは、今の「イヤだイヤだ」状態をコンフォートゾーン、すなわち快適な状態と感じているが故だ。自分が本当に理想だと感じていることを達成するためにはどうしたら良いのかを考え、今の生活•考え方の枠組みを外して、実現に向けて行動していく。理想の状態とは自分が「楽しい」と感じる状態であり、その状態を達成するための努力であるなら苦痛とは感じないはずだ、ともあった。その通りだ。私はネタさえあれば文章を書くことは全く苦痛ではない。ではネタはどこから探すか?それこそ身の回りにネタなんかいくらでも転がってるじゃねーか!!本を読めばその内容がネタになるし、映画を観てもドラマを観ても、ラグビーの試合を観ても然りだ。トレーニングの内容だって、TOEICのスコアだってラグビーの試合に出て、スクラムでボコ押されして悔しい思いをしたことだって立派なネタだ。今挙げた物事、全て全然苦痛なお話ではない。楽しんでいることばかりだ。

 

読んだ後に「同病相憐む」的な感覚ではなく、能天気と言って良いくらいにポジティブな気持ちになれた、珍しい一冊だった。