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サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

悪人はあくまで悪く、善人はあくまで弱々しく『座頭市兇状旅』鑑賞記

 

座頭市兇状旅 [DVD]

座頭市兇状旅 [DVD]

  • 発売日: 2017/03/24
  • メディア: DVD
 

 

最近、録り溜めておいた番組の整理整頓のため、レコーダー内蔵のHDDやらUSB-HDD、Blu-Ray、DVDの内容を確認している。そんな中で、目についたのが勝新太郎氏の出世作にして、最大のヒット作品『座頭市』シリーズ。BSやら、地上波やら、スカパーやらで何度もいろんな作品が繰り返し放送されており、録画数も多い上、ダブりも多かった。ダブったやつを消す一方で、一度しっかり鑑賞しておこうと思い立ち、最初に目にしたのが標題の作。

 

1963年の作品で『座頭市』シリーズとしては四作目。勝新さん、若い(公開当時32歳)。冒頭、村祭りの相撲大会に飛び入り参加するシーンがあり、裸体を晒しているのだが、筋肉にハリがあり、肌の色艶も良い。相撲大会で、村人たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げする姿に違和感がない。正統派二枚目スターとして売り出すもうまくゆかず、『不知火検校』というダークヒーローを演じて得た評価のもと演じ始めた座頭市というキャラクターが勝新さんのモノとなり、板につき始めたのだな、という印象。

ストーリーは、先にも述べた通り、とある村の祭りの相撲大会に飛び入り参加し、見事に優勝をかっさらうところから始まる。そこで得た賞品のさけで一人祝杯を上げている市を喜助というチンピラが襲うが、そこは市のこと、モノの見事に返り討ちにする。喜助は市の首にかかった懸賞金目当てに市を襲い、その金を自らの母親に渡すつもりだった旨を語って息絶える。

 

で、ダーティーヒーローながら情には厚い市は、その母親を尋ねて上州下仁田へ。母親に自分が喜助を討ったことを告げ、喜助からだとして十両の金を渡す。母親は喜助と市が尋常に勝負した結果、喜助が斬られたのなら仕方ないと、涙にくれながらも、市を責めない。この辺、今の日本全体を覆う「常識」からすると理解しがたいのだが、作品が制作された当時は、正々堂々と勝負した結果としての負けなら仕方ないという潔さが当然のこととして受け入れられていた。市の方の喜助の母を思う気持ちに打たれ、母親からの報復があってもやむなしという思いで母に詫びを入れにわざわざ下仁田まで足を運ぶという義理堅さやら人情の厚さもまた、人々にウケる条件でもあったのだ。半世紀も経つと、人の世の情も常識も変質してしまうモノなのだ、という感慨はさておいて、ストーリーの紹介を続ける。

 

市は小幡屋という旅籠に投宿するのだが、この旅籠の主人島蔵は元下仁田の顔役で、現在の顔役佐吉の父親とは縄張り争いをしたという経歴を持ち、何かコトあればもう一度返り咲きたいという野心の持ち主。しかし、島蔵の娘おまきは佐吉と恋仲。『ロミオとジュリエット』の出来損ないのような設定だが、愛し合っていながらも、周囲の環境がそれを許さない、というこの設定は古くて新しい。現在でもこの構図の物語はそれこそ腐る程ある。

 

さて、もう一人、ヒロインが登場する。かつて、市と結婚することまで考えていたおたねという女だ。おたねは現在は棚倉蛾十郎という剣術使いの愛人となっている。蛾十郎は矢切の東九郎という顔役の用心棒を務めているが、後になって市とチャンチャンバラバラを繰り広げることとなる。

 

では、市と蛾十郎が切り結ぶことになったのは何故か?佐吉が顔役を張るには相応しくない、ナヨナヨした美男子であることが原因。島蔵が、東九郎と組んで、下仁田宿を乗っ取ろうと画策するのだ。その画策とは、佐吉に市を斬らせること。弱々しい佐吉に市は斬れないだろうから、東九郎と共に助太刀を買って出て、蛾十郎をはじめとする手下に両者を討たせて自分が顔役になってやろうという魂胆である。

 

画策はうまくいくし、鉄砲という武器も持っていることで、市も佐吉も共に窮地に陥れることには成功するが…。身も蓋もない言い方をすれば、この後このシリーズは二十二作も作られるわけで、ここで市が死ぬ訳もない。いかに追い詰められようと、最後は市の腕が冴えて、悪人どもを撫で斬りにして一気に野望は消滅、佐吉とおまきは結ばれてメデタシメデタシ。おたねだけは悪役の憎々しさをマックスレベルに引き上げる役目を負うため蛾十郎に斬り殺されてはいるものの、生き残った人々には平安な日々が訪れることが示されて、市は下仁田を去っていく。

 

今秋の話題をさらった『半沢直樹』では、善玉と悪玉を大胆に二分する手法が話題になったが、何のことはない、60年近く前の作品でも同じように善玉と悪玉はわかりやすく二分されている。もっとも、60年のうちに、この単純な二分法が一旦飽きられてしまったからこそ、『半沢』の展開の中では新鮮に映ったのだが。時代は繰り返す、というのは何事においても言えることらしい。