脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

よくいえば円熟味のある、悪くいえばマンネリを極めた一作『新座頭市物語 笠間の血祭り』鑑賞記

 

 録り溜め作品集中鑑賞企画の第二作目は、座頭市シリーズ二十五作目の表題作『新座頭市物語 笠間の血祭り』。勝新さん主演の座頭市シリーズは全部で二十六作あるが、1989年に公開された最後の作品は、食い詰めた勝新さんの窮余の一策ならぬ窮余の一作とでもいうべき作品なので、ヒット作としての座頭市シリーズの実質上の最終作品。座頭市の自身の生まれ故郷である笠間での苦闘を描く。

 

シリーズものの宿命であるマンネリ化を打破しようとするためか、コメディーリリーフ的な存在としての岸部シローを含む、撮影当時社会に出現したフーテン族を彷彿とさせる愚連隊を登場させて市と絡ませ、市を池に突き落として溺れかけさせたりもしているが、物語の大筋にはさほどの影響はなし。あくまでも笠間の人々を苦しめる巨悪の憎々しさで怒りを溜めておき、その巨悪とその一味が市の仕込み杖による居合殺法でバッタバッタと斬りまくられることに感じるカタルシスを最大限に楽しむための作品である。

 

今作の悪役は、市とは笠間時代の幼なじみで、江戸で大成功を治めた米問屋になっている常盤屋新兵衛(岡田英次)と笠間の代官林田権右衛門(佐藤慶)。林田は米の作柄の吉凶にかかわらず、重税を取り立てる典型的な悪代官。しかも計量の升の大きさを誤魔化して、より多くの米をかすめ取り、私腹を肥やしているというおまけ付き。年貢の重さに耐えかねているところへ、新兵衛が乗り込んできて、年貢米の肩代わりを申し出るが、それは、笠間の山の採掘権を奪い取るための口実。一旦採掘権を握ったが最後、村民の抗議は、借財をすぐに返せとつっぱね、一方では爆薬を使いまくって坑夫である村民の安全性なんぞこれっぽっちも考えず、死人が出ようがけが人がうめいていようがお構いなしに採掘を進める悪逆非道っぶり。

 

こんな新兵衛だが、市は少年時代に一緒に畑からスイカを盗んだ思い出なんかがあって、思い出話を語るために新兵衛の宿に出向くなど、必ずしも最初から怒りモード全開ではない。しかし、歳月と金は人を変える。悪逆非道ぶりに怒り心頭に発し、いよいよ追い詰めると、新兵衛は「昔一緒にスイカ畑を荒らした仲じゃないか」などと泣き言を言ってみせる。その言葉に向けた刃を収める市。新兵衛は逃げ出すが…、悪は必ず報いを受ける、という今の世では限りなくファンタジーに近い結末が待っている。

 

いかに魅力的な作品世界があっても、マンネリには勝てない。座頭市シリーズのファンは、例えば『水戸黄門』のような、み終えた後のほのぼのとした感情と、平和な予定調和を味わいたいという志向は持っていないはずである。最後の最後は市が豪快に血飛沫をあげて悪人を切りまくるという結末になるにせよ、そこに至るまでの残酷さや、嫌悪感といったスパイス的な要素こそが、このシリーズの味わいであるはずだが、二十五作も作品を作れば、どうしたって飽きられてしまう。そうした人の世の残酷さをこそ一番感じる作品だったように思う。メイクのせいか、年輪を重ねたせいか若い頃の勝新さんのどことなくとぼけた市に比べ、凄みある表情になっていたことは印象に残った。