北方謙三氏が世に知られたのは、いわゆるハードボイルド小説だ。学生運動のバリケードの中では純文学を書いていたそうだが、商業的に成功せず、酒にもタバコにも、女にも喧嘩にも強いおっさんたちを描き始めたら、一気に人気作家の一人に躍り出た。
昨今では中国の古典をそれこそ自由自在に切り刻んで、全く新しい物語に仕上げた、三国志シリーズや「大水滸伝」シリーズ、さらにはチンギスハーンの生涯にまで手を伸ばすなど、活動の場を広げつつも、その物語の全てで、男臭い男が「これぞ男だ」という姿で、ある時は冷静沈着に、ある時はアドレナリン全開で戦う姿を描く。
標題の作は、レアメタルの輸入業を営む藤森という男が、昔の恋人の娘と息子(実子ではない)を救うために、やばい連中たちと渡り合うのがメインストーリーだ。藤森は絶対的に強いというわけではないが、多少はボクシングの心得があるという設定。何より、レアメタルの取引をめぐり、海外のやばい奴らと渡り合ってきたという経験から、肝だけはしっかり座っており、自らの信ずることに関して命を賭すことを厭わない。
そんな藤森を陰に陽にフォローし続けるのが吉井という刑事。吉井と藤森は、とある殺人事件を通じて知り合った仲で、決して古くからの親友というわけではないが、お互いに「こいつのためなら命を落としてもいい」という強い心理的なつながりを持つに至る。また、その殺人事件の容疑者として当初は警察に拘束されていた、藤森の昔の恋人の息子、英二も、藤森や吉井と行動を共にするうちに、アマちゃんの若者から脱皮して一人の男として成長していく。
物語のあらすじを紹介してしまうと、この作品の興を著しく削ぐことになるので、内容の紹介はこれくらいにしておこう。ただし、筋立てはそんなに入り組んだモノではないので、やはりこの作品は、藤森と吉井の男臭さを味わうのが醍醐味ということとなるだろう。タバコ、コニャック、ウイスキーにベッシー・スミスのブルース、ジャガーに隠し持っていた拳銃、昔関わった女との思い出…。いやあ、実に昭和だ。タバコを吸わず、酒は缶チューハイ、K-POPに親しみ、車よりはスマホやパソコンに金をかけ、ゲームに興じる令和の男たちにはさぞかし奇異に映るキャラクターだろう。
時代だと言ってしまえばそれまでだが、自らに課した「約束」を命を落とすことになっても、あるいは暴力に訴えてでも絶対に守る、という気概を持ち合わせる男がどれだけいるんだろうか?まあ、これはアラカンのおじさんの偏見にしか過ぎないが、今の世ではこのテイストの小説はおそらくウケないだろう。
私自身もこの小説は一種の「時代劇」として読んでいたような気がする。この作品に描かれた男こそがカッコ良い、って時代はもう遥か昔のお話だし、こういう男をカッコいいと認める時代は少なくとも私が生きている間には来ないだろう。もしそうした価値観が見直されるとすれば、ロシアが北方領土を足がかかりに北海道に攻め込んで来て、一般市民も武器を持って戦わなければならないような状態になった場合だけだろう。そんな事態には絶対なって欲しくはないが。
昭和の男の一つの理想像を描いた一作。私はこういう生き方に憧れるし、物語の展開のまま死んでしまうのも、いい死に方ではないか、などと思ってしまう。