脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

「うくく」なエッセイの数々 『耳そぎ饅頭』読後感

 

 

ここ数週、心身ともに非常に調子が悪い。

 

齢55と巷ではアラカンなどと呼び慣わされる年代に達し、日々の疲労の蓄積が抜けなくなったことも原因の一つであろうが、心ときめくような出来事がないからというのが最大の理由だと思う。

 

心ときめく出来事というのは、現時点では文筆業での成功に繋がりそうな案件である。定期的な収入と、ささやかな自尊心を満たしていたスポーツサイトは、外注をやめてしまったし、レシピサイトからも仕事の声がかからない。クラウドソーシングの方もいくつか採用されたものの、定着したのは一件だけで最近は連敗に次ぐ連敗。小躍りするような出来事もなければ、自宅のリビングで念仏踊りでもヒップホップでも踊りたいような気力も湧かない。唯一心が安らぎ、幸せな気持ちになるのは、近くに住む姪っ子との邂逅だけであるが、2歳半の女児を高い高いするだけでもアラカンの肉体は悲鳴を上げる。

 

邂逅翌日または翌々日に見舞われる筋肉痛のことを考えると、筋トレに行けばもっと酷いことになるのではないかとの悲観的な予想が働き、トレーニングに行く気力も湧かない。勢い、精神的にはどうあれ、肉体的にはずっと座りっぱなしの食っちゃ寝生活が続き、肥満状態に拍車がかかってきた。本日もその悪影響の一つである逆さまつ毛のせいで、眼球の強膜に炎症を生じ、充血と共に痛みを生じたために半日会社の在宅勤務を休んだ。

 

私だけが休んでも、会社の仕事は回り続けているので、やらねばならぬ仕事は溜まる一方。本当はやりたくもない仕事なのだが、口に糊するためには嫌でも業務に努めねばならぬ。故に、なんとか嫌な仕事から脱却しようと文筆業を始めたのだが、これが全くカネにならぬ。従って、まだしばらくはイヤイヤながらも会社の仕事を続けなければならぬ。憂鬱なウイークデイを過ごして休日に姪っ子に会うと、心は癒されるが、体は疲れる。そんなわけで、心身ともに疲労が溜まっているのだ。

 

つい二週間前には姪っ子が高校生になって原宿に行きたいと欲した時に隣にいても嫌われぬようなバッキバキの筋肉ジジイになり、ついでにその時には欲しいものは全て買ってやってもびくともしないくらいの金を持っておくために文筆業でも名をあげようと決意したのに…。

現実はそんなに甘くない。不採用の通知に心を折られ、会社の仕事で神経をすり減らし、酒に手を出してはバカ喰いして自己嫌悪に苛まれるという日々を過ごさざるを得ず、炎症で痛む眼球以上に心が痛い。

 

笑えば元気になるという話を思い出して、過去のお笑い番組を録画したものなどを見たが、心は晴れない。ならばと、涙を流して心をリフレッシュしようと考えて悲しい物語でも読んだり見たりしようと考えたが、泣いたら泣いただけ、気持ちが落ち込んでしまい少し泣いただけで断念。現在は眼球が痛いので涙だけは出ているが、これは生理的反応にしか過ぎないため、涙だけ出てるな、と変に冷静な心持ちで判断だけしている状態だ。

 

こうなったら、町田康氏のエッセイでも読んで、思いっきり頭の中引っ掻き回したろ、と本棚から引っ張り出したのが標題の作。霊験あらたかな町田氏の作品は、私の頭の中に期待通りのカオス状態を出来させてくれた。おかげで、そのカオス状態をばそのまま文章にしたらどうかとブログを書き殴ってみたのだが、なんのことはない単なる事実の羅列と愚痴に終始してしまった。これでは町田氏の模倣にもならぬどころか、井上陽水氏の解説にも全く及ばぬ駄文になってしまう。そう思って焦ってはみたものの、元々が両親公務員の一人息子である私の脳は、意味通りの文字を連ねてつまらぬ意味しか表さない文章は書けても、ナンセンスな内容ながら、いかにも意味ありげに、しかも読者にインパクトを与えるような文章を書くようにはできていないのだ。くそ、変にテストの点数だけは取れた頭の良さなんてのはこんな場面では全く役に立たない。精々が資格試験の勉強に少々役立つくらいのもんだ。

 

そんなもんいらないから、頭の中に、岡本太郎に代表されるようなちょっとあぶない人が一人住んでいたらどんなにか文筆活動のメリットになっただろう?そう考えて私は生理的にではなく、精神的な意味での涙を少々流した。ここは一発、横隔膜のストレッチのために発声練習でもかまそうか、とも思ったが、田舎とはいえ住宅地の中に建つ自宅ゆえにそんなこともできない。こうしてご近所付き合いとかいう常識の則を超えることができないまま、くたびれていくしかないのか。ぷけけ。