先月、京都芸術大学大学院の文芸領域の入試説明会というものに参加したのだが、その際に司会を務めていたのが、標題の書の著者辻井南青紀(つじい・なおき)氏。誠実な語り口で同専攻課程のメリットを語り、講師陣の紹介をされていた。で、この方は一体どんな作品を書いているのだろうと興味を惹かれたので、Kindleを検索したら引っかかってきたのが標題の作。何はともあれ読んでみた。
題名の「結婚奉行」って一体何?聞いたことないけど、そんな役職あったの?素朴な疑問が湧いたので、ちょっと調べてみたら、実在はしなかった職制とのこと。ただし、武家の婚姻に関しては武家諸法度で厳しく制限されており、幕府や藩などの許可が必要な場合もあったため、その際のトラブル解決のために動いた人々もいたのだろうという想定のもとに辻井氏が創作したものらしい。
結婚奉行そのものは御先手組頭加賀山豊国が務めているが、その配下で、実際の「事件」に対処するのが主人公の桜井新十郎。ほんのちょっと前までは火盗改めの同心として凶悪犯の捜査、捕縛に従事してきたバリバリの実戦派。いかつい体つきで武術の達人、身体中に大小様々な傷があるという、現在で言えば機動隊の第一線で活躍しているようなキャラ設定だ。それが、なぜか結婚相談所の相談員と家庭裁判所の調査員を足し合わせたような役割を命じられることになる。今までとはあまりにかけ離れた職務に新十郎が戸惑う姿がまずは描かれる。
そして、新十郎は戸惑いながらも、職務を忠実に果たそうと努力していく。その過程の中で、武一辺倒だった新十郎が人間として成長していく、というのが裏テーマ。表のテーマは1件の仇討ちに端を発した、江戸城内の権力争いと、それに翻弄される姿勢の人々をいかに新十郎が救うかということになる。紹介が前後してしまったが、時代背景は経済が発展し享楽的な気分が広く行き渡っていた田沼”バブル”時代が終焉を迎え、松平定信が寛政の改革で財政の引き締めを図り、庶民にも倹約を推奨していた時期。勢いが衰えたとはいえ、田沼一派は返り咲きを虎視眈々と狙っているし、松平派は政策を強硬に推し進めており、両派は水面下で激しく争っている。
物語の最初の方は、辻井氏本人の誠実な語り口に通じる、静かな人情噺が展開され、正直なところ、少々起伏に欠けた。ああ、このまま人情噺が進んでいくのだな、と感じさせておきながら、後半はかなりドロドロとした権力争いの構図が描かれ、どんどんと物語に引き込まれていく。この展開はなかなかよく考えられており、特に新十郎が、武士ではなく罪人として牢に放り込まれてから「逆転」を果たすまでの展開にはハラハラさせられた。流石に、文芸を志す人への教育を施そうとしているだけあって、読み手を惹きつけるテクニックは大したものだと思わされた。その辺の腕の冴は是非とも本文を味わっていただきたいと思う。
さて、件の大学院についてはまだ迷っている。自分の内なる衝動みたいなものは自分で磨き上げることのような気もするし、先達の教えを受けて昇華させるものなのかもしれないという考えも頭をよぎる。もう少し悩んでみることにする。
