脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

「大人びた子」という異物を排除しようとするガキの集団と主人公の戦い 『風葬の教室』読後感

 

最近利用者登録をした近所の女子大の図書館の「日本文学」の棚で見つけたので借りてきた一冊。自身が受賞したのは「直木賞」ながら、「芥川賞」の審査員に名を連ねている異色の作家山田詠美氏が、世に出始めて間もない頃の作品だったと記憶している。題名となった作品の他に『こぎつねこん』という短編も収録されている。

 

山田氏は作家デビュー当時「SMクラブに勤務経験がある」ということで、世間の下世話な興味を集めたが、表題作の主人公本宮杏は、成長したら女王様(笑)にでもなっていそうなキャラが付与されている。両親の仕事の関係で転校を繰り返してきた杏は、その土地土地の子供たちの中に溶け込むほどの人懐こさを持ち得ず、常に孤独だった。そしてこの孤独は自分及び自分を取り巻く人間を常に客観視するという視座を杏に与え、観察眼を養わせる。そして彼女を、クラスの雰囲気に馴染まない「ツンとすました女」という立場に追いやってしまうのだ。

 

杏は小学校5年生という設定だが、そのくらいになると「大人の視点」を持つ女の子ってのはクラスに一人くらいは必ずいたような気がする。で、そういう女の子は「異物」として扱われることが多い。周りを取り巻く年相応のガキどもは、ガキとは違う次元で生きていることが許せずに攻撃する。そしてそういう子は往々にして美形であることが多いので、特に男子の「気になる子ほど意地悪をしてしまう」という屈折した心理の格好の的になってしまうのだ、美形であることはまた、大人を惹きつけてしまう場合もある。今作の中でも杏は、生徒に人気がある男性教師に無邪気な好意を寄せられることにより、女子からの強い反発を招いてしまう。教師の方には悪意が全くないから余計始末に悪く、杏の立場はどんどん悪化していく。

 

そんな杏を救ったのは、杏に比べればまだまだ幼いながら「大人の目」を持った男子の存在。二人は、平安時代の和歌のやり取りにも似た、奥ゆかしい、まどろっこしい方法で心を通わせていく。杏の方はその男の子から直接的な「好きだ」だの「愛している」だのの言葉が返ってきたら、即座に関係を打ち切るという「大人」の決意があるのだが、男の子の方はそうした気持ちを知ってか知らずか、具体的には気持ちを表さない。私なんかよりよほど大人だ(笑)。

 

文中、杏は体育の授業の間に、他の生徒が身につけていないようなおしゃれなスリップを奪われ、そのスリップを水に浸された上で、アタマの上に載せられるという嫌がらせを受けるのだが、その描写を読んだ途端、「あ、これ昔読んだことがある作品だ」と気がついた。それこそ山田詠美という作家が話題になった頃に読んだ作品だったのだ。そういえば、当時も「大人びた女の子」って難しいんだな、という感想を持ったことを思い出した。

 

もう一作の『こぎつねこん』に関しては全く記憶がなかったが、この作品の主人公は表題作の中で杏の姉として登場した、高校生だというのに酒もタバコもバカバカ飲み、性体験もあけすけに語る女性なんだろうな、と思った。二つの作品の世界観が同一のものだとは一言も書かれてはいないが、私はそう感じた。最後の一文が強く印象に残った。どんな言葉かは是非とも本文をお読みいただきたい。