脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

自分の「常識」の問い直しを迫られる一作 『BUTTER』読後感

 

 

英国の文学賞『ブリティッシュ・ブック・アワード』を、日本人として初めて受賞したのが標題の作品。権威に弱い上に、気になった本は必ず買う私は即買いしてちょっとだけ「溜め読」しておいてから一気に読んでしまった。

 

一気読みしてしまった理由は単純に面白かったから。読み進むうちにどんどん作品世界の中に引き込まれてしまった。

 

作品は木嶋佳苗死刑囚が引き起こしたとされる首都圏連続不審死事件をモチーフにしている。主人公は木嶋死刑囚をモデルにした梶井真奈子を取材し、なんとかその「正体」に迫ろうと試みる雑誌記者田村里香だ。

 

拘置所に収監されている梶井に対しては、マスコミ各社があの手この手で面会を申し込むのだが、梶井はこれらを全て拒否。梶井は被害者の男性たちを籠絡するのに、料理を用いており、その知識は専門家並みであるという情報を得ていた里香の友人怜子は「料理について話をしたいと持ちかけてみたら?」とアドヴァイスする。そのアドヴァイスに従い、里香は藁にもすがる思いで面会を申し込む。するとすんなりと面会は許可された。そこで里香は梶井から「本物」のバターの旨さを教え込まれる。「炊き立ての熱々のご飯の上にエシレのバターをたっぷりと乗せて、そこに醤油をかけて食べてみて」という梶井の言葉その通りの食べ方をした里香は、そのあまりの美味さに圧倒され一気に梶井の「信者」となってしまう。

 

バターの旨さをこれでもかと描写する柚木氏の手法は巧みだ。直ちに飯炊いてバターのっけて醤油かけて食いたいという衝動に駆られてしまうほどに官能を刺激してくれる。遥か昔の学生時代、バターではなくマーガリンでこの食い方をしたことは何度かあったので、その時の味覚を思い出しながら読み進めたのだが、「本物」のバターだったらどんなに旨いんだろうという想像で一旦頭の中が一杯になってしまったほどだ。

 

里香は梶井の指定する「本当に旨いもの」をどんどん食べまくる。梶井の知識は「本物」で、里香は美食の快楽にどんどん引き込まれていく。その過程で、食事や睡眠、性といった人間の根源的な欲求を犠牲にするような雑誌記者としての生き方に疑問を感じるようになっていく。美食追求の結果として、里香は太り始めるのだが、そこで「女性は痩せている方が美しい」という世間一般に根付いている「価値観」にも疑問を感じるようになる。さまざまな快楽を捨てて見栄えの良さだけを追求するような人生に意味があるのか?そしてそこから派生して異性との関係性についても疑問を持ち始めていき、彼氏との関係もギクシャクしていく。

 

このまま里香は梶井の虜になり、今までの生活を根本から否定するような生き方をするようになるのか?という緊迫感を孕みながら物語は進んでいくのだが、これ以上は是非本文をお読みいただきたい。ともすれば、自分が里香の立場となって、快楽だけを追求するような生き方をしていきたいと考えてしまうのではないか?という問いも読者に突きつけられていく。

 

なるほど、文学賞を受賞するに値する作品だと感じられた一冊だった。モチーフはセンセーショナルな事件だが、そこに書かれているのは、人間にとって本当に幸せな状態とはどんな状態を指すのだろうかという素朴ながら答えを出すのが難しい疑問だ。家族、友人、恋人といった人間関係に関しても、「今まで当たり前だと思っていたが、本当に『当たり前』のことだったのだろうか?誰かの犠牲の下に成り立っていた関係性なのではないのか?」という疑問を持たざるを得ない。少々大袈裟に言えば、自分のこれまでの人生を振り返って「本当に良い生き方」をしてきたのか?と自らに問わざるを得ないような気持ちにさせられてしまうのだ。

 

私の中では、柚木氏は「大衆文学寄りのよしもとばなな」とでもいうべき存在だ。日常のほんのわずかなことの裏にどれだけの人の営みが隠れているかを炙り出すことに長けているように思う。題材を社会を騒がせた事件にとったところが「大衆文学寄り」と評した所以。是非とも別の作品も読んでみたいと思わされた作家だ。