脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.215(休職日記52 お題と徒然)

 

気がつけば6月も中旬。家の周りの畑の麦も次々と刈り取られ、水田に変身する準備が進んでいる。空気にじんわりと湿気が含まれ、気温も上昇中。すでに家の中では短パンTシャツ生活に突入した。外出の際は、素足にサンダルだ。

 

空気中の水分の増加と気温の上昇に伴い、庭の芝生たちの生育が活発になってきた。青々とした芝生に覆われた庭は見ていて清々しいのだが、ちょっと放っておくと、伸び過ぎて荒々しい印象になってしまう。また、当家は40年近く放っておいた土地の上に建っているため、40数年この土地の「主人」であった様々な雑草の根が文字通り根強く残っており、芝生の隙間から頻繁に芽を出し、いつの間にか我が物顔で繁殖してく。西側の一角など、芝生なんだか、ただの草っ原なんだかわからない状態にすぐに陥る。

 

そんなわけで、当池の最高権力者様から芝刈りの厳命が下された。当家が使用しているのは、庭の造作の際に、業者さんから勧められた↑の芝刈り機。結構大きなバッテリーを使用するので、1時間くらいの使用ではビクともしない。ただ、この機械、すぐに目詰まりを起こして止まってしまうのが玉に瑕。機器後部にある、刈った芝を溜めておくボックスが半分にも満たないのに、目詰まりした芝生のカケラたちを取り除く必要があるのだ。雑草などを巻き込んでしまうと、ほんの数十秒で止まってしまう。芝を刈るために動かしていつ時間より、目詰まりを取り除いている時間の方が圧倒的に長く、その作業が実に煩わしい。機器使用開始以来のこの懸案をなんとかこの状況を打破できないかと、機器をひっくり返したり、いろんな部品を取り外してみたりした結果、一つの解決策が見つかった。前下部のカッターの下に、芝を刈る長さを調節する箇所があるのだが、その調節部分を一番短くすると、かなりの時間刈っていることが可能になったのだ。ボックスもほぼ満杯になる。わかってみれば実に単純なことなのだが、分かるまでには実にいろんな試行錯誤が必要だし、少なからぬ時間もかかる。これは全ての物事に共通する真理だ、と結構高尚な思考に辿り着いてしまった。カラダを動かして作業することは、アタマやココロの活性化につながる、ということに改めて気付かされた。

 

芝刈りの一方、庭の懸案事項を二つ解消した。一つはレモンの木を引っこ抜くこと。この時期、健気に葉っぱを出してしっかり光合成して実を成らそうとするのだが、葉っぱが茂るそばから青虫がうじゃうじゃ湧いてきてすぐに葉っぱを食い尽くしてしまうのだ。殺虫剤等々を使用したが一向に効果がなく、実がなる見込みも持てない上、青虫が跋扈する様が不気味でもあるので、思い切って抜いてしまった。残念だが仕方ない。

 

もう一つは、庭のシンボルツリーであった青ダモの伐採だ。造園業者によれば、非常に強い木で滅多なことでは枯れないという触れ込みだったのだが、見事に枯れてしまった。庭木を植えるなどということは初めての経験だったが故、知らなかったのだが、この木は根本に水溜まりができるくらいにたっぷり水をあげないといけないのだそうだ。つらつら考えてみると、明らかに水やりが不足していた。こちらも誠に残念だったが、葉っぱの一枚も芽吹かない状態が2年続いたので、切ってしまうことにした。かわいそうだが仕方ない。ノコギリでギコギコと切ってしまった後には添木の竹だけが残っているという、まさに廃墟のような庭木スペースが出来上がった。次に木を植える際には、今回のことを教訓に、十分にケアしていきたいと思う。

 

さて最後にお題。制服は中学、高校ともに詰襟の学ラン。中学時代は真面目一本槍だったし、高校は一応進学校と言われているところに通ったので、いわゆる当時の「ツッパリ君」たちが着ていたような、「長ラン」やら「短ラン」やら、バカっ高いカラーやら、裏地に龍や虎の刺繍があるようなやつなど手を出したこともなく、至って普通な学ランを着ていた。中学ではそんなもん着ようものなら容赦なく鉄拳が飛んできて没収されただろうし、高校はそんなもん着ているやつはバカしかおらず、軽蔑の対象でしかなかったので手を出す気にもなれなかった。そしてそれ以上に「普通」の学ランを選ばざるを得なかった要件は「体格」。ずっと肥満体質だったが故、常に大きなサイズを買わざるを得ず、そうしたサイズには変な細工をしたものがなかったのだ。探せばあったのかもしれないが、そんなことに割くエネルギーも金もなかった。わざわざ、親や教師から目をつけられるような格好、あるいは仲間内で軽蔑されるような格好をする必要性もなかった。それゆえ、制服に関しては大したエピソードがない。せいぜい、体の横の成長に服のサイズが追いつかず、何度も腹の部分のボタンを飛ばしてしまったくらいのものだ。下から二番目のボタンを飛ばしてしまうと、いかにも「私は肥満体です」と示しているようで恥ずかしかったことだけはよく覚えている。