脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.214(休職日記51 お題と徒然)

 

今週のお題「最近いちばん笑ったこと」

 

6月ももう目前だというのに、5月はこれが初投稿。花粉症の季節は脱したし、様々な出来事もあったのだが、なかなかブログの画面にまでたどり着かなかった。

理由は↑のゲームに取り憑かれてしまったからだ。旧作にも何度か取り憑かれた経験があり、用心はしていたのだが、一度手を出してしまったら、一気に依存症と言って良い状態に陥ってしまった。1日の半分はこいつに費やしている。みるべき映画、観戦すべきラグビーの試合、書くべき文章、挑戦すべき資格の勉強など数々あるのだが、一度PCを立ち上げるとついついアプリを起動してしまい、ゲームを開始してしまうとあとはガッチリと取り込まれてしまい、エネルギーを吸い取られてしまっている。なんで、このゲームに惹かれてしまうのか?実は自分にもよくわからない。

一人の歴史上の権力者になり、世界統一を進めていくというのがこのゲームの目的なのだが、競争者たちを全て滅ぼしてしまえばいいかというと、そういうものでもない。文化であったり、科学であったり、宗教であったりと様々な尺度で評価される。どの分野も高いレベルに達しないと、良い得点にはならない。現実社会に例えてみれば、プーチンによって制覇された世界が必ずしも民衆の幸せにはつながらないってなところだろうか。民衆を満足させる政策を打たなければ支持が得られず、反乱が起きたり、競争者に侵略を受けたり、いろんな障害が起こる。むやみやたらに戦争を仕掛ければ「暴虐者」と謗られることにもなる。まあまあ考えられたゲームではあるのだが、ここで得た知見は現実社会には全く役には立たない。いい加減、こんな時間の浪費はやめたいと思ってはいるのだが、そこが依存症の悲しくも恐ろしいところ。朝起きるとすぐにゲームを起動させてしまい、そのまま一日机の前で過ごすという日々を送ってしまっているのが、この2週間ほどの日常だ。

 

今日はリーグワンの準決勝の観戦記と、それを踏まえた決勝の展望記事を書く予定なのだが、実はまだ試合を観ていない。なんとかこの駄ブログ投稿を原稿書きのウォーミングアップにすべく、ネタもないのに無理やり書き始めたというのが実情だ。そうでもしないと依存症の泥沼から脱することができない。今の自分にとって一番大切な行為であるはずの執筆活動すら侵食してしまうゲーム中毒。原稿に関しては一切妥協するつもりはないながら、早いところ原稿を書き上げて、ユリウス・シーザーとして世界征服したいという争い難い欲求が一方にはある。

 

さて、お題にも一応答えておこう。最近一番笑ったのは、生後3ヶ月になる姪っ子ちゃん2号の指しゃぶり動画だ。この頃の赤ちゃんは自分の体が自分のものであるという自覚はまだないそうで、自分の意思で動かしているはずの手足を「客観的な視点」で知覚しているそうだ。ゆえに自分の手を不思議そうに眺めてみたり、自分で強く噛んで痛がって見たりという後から考えると非常に滑稽な行動をとるそうだ。姪っ子ちゃん2号はお腹が空いたらしくミルクを要求するために泣き出すのだが、自分で動かした手が目の前に来た途端、それを乳首と認識して吸い付く。で、その瞬間は一旦冷静になって泣き止むのだが、手の指からは当然のことながらミルクは出てこないので、また泣き出す。その後、また自分で動かしたはずの指がまた目の前に来て、それにむしゃぶりつく、でもミルクが出ないからまた泣き出す。この動作の繰り返しなのだが、何時間見ていても飽きない。で、何度も笑ってしまう。急に泣き止んで、不思議そうに自分の指を見つめるところが、なんともおかしく、そして愛くるしい。なお、姪っ子ちゃん2号は順調すぎるほど順調に育っており、もうすでに生後10ヶ月の乳児と同じくらいの体重になったそうだ。この後、だんだん知恵がついていろんな愛らしさを見せてくれることだろう。こっちも姪っ子ちゃん1号という前例があるから、ある程度は予備知識を持って接することができる。

 

 

 

Kindleの検索欄に「ラグビー」と入力し、新着順にソートしたリストを眺めるというのが私の日課なのだが、その際に目に飛び込んできたのが↑の作品。自らを武田信玄の生まれ変わりに準える主人公がケンカによる日本統一ではなく、全国のツッパリを集めたラグビー大会で天下を取ろうとするという、ある意味破天荒、ある意味安易なストーリー展開の物語。麻雀劇画で、何かトラブルがあった際になぜか麻雀で決着つけようとするのと同じじゃねーかよ、と冒頭からツッコミ入れながら読み進めた。武田のライバルとなるのは各地を治める番長たち。こいつらも全て、その地方にちなんだ戦国武将の生まれ変わりという設定。で、この番長たちに暴力ではなくラグビーで決着をつけようと持ちかけにいくのだが、普通のツッパリたちがラグビーなんぞにすんなり打ち込む状況になんか簡単になりようがなく、さまざまな軋轢が生じ、当然ケンカも発生する。で時には腕づくで、時には説得でライバルたちを説き伏せていくというのが主な展開。主人公が危機に陥ると、昨日までは敵だったライバルが助っ人として参上するという、いわゆる少年ジャンプの黄金律「正義・友情・勝利」を地で行く展開。もうあとは勝手にやってくれ、結局はみんなラグビー大会に参加して花園で全国一をかけることになるんだろう、と思っていると、見事にその通りになる。肝心の花園での戦いが描かれる前に唐突に物語が終わってしまうのがなんとも中途半端。

 

まあ、物語としての無理矢理さとは別に不良たちにはラグビーやらせたら良いんじゃねーの?ってのは一理あるように思う。いわゆる不良ってのは自分の中にあるエネルギーを持て余している状態なので、そのエネルギーを変な方向に向かわせず、「正しい」方向に向かわせれば、有効な活用ができるはずだ。「ルールのあるケンカ」という見方もできるラグビーなら「正しい」エネルギー活用にピッタリだ。元日本代表にして現在山梨学院大ラグビー部監督の梶原宏之氏は山梨県の桂高校や日川高校の監督時代、選手たちに「バス停まで歩くエネルギー」だけ、つまり帰宅するのにギリギリのエネルギーしか残さないような厳しい修練を課したそうだ。ここまで鍛えられればハンパなことをやってる時間もエネルギーも残らないはず。「不良なんかやってるヒマはない」という状態になるということだ。現実には逃げちゃうやつも少なからずいるだろうし、そんなに簡単にいく問題でもないだろうとは思うが。まあ、そういう、こちらの頭の中が荒唐無稽になる妄想だけは膨らませてくれたコミックではあった。