今週のお題「ケチらないと決めているもの」
生後、そろそろ2ヶ月を迎えようとしている姪っ子ちゃん2号、色々な表情を見せるようになってきた。特に素晴らしいのが笑顔。自分に無償の愛を注ぐ人物にしか見せないであろう、この笑顔は、無邪気とか無垢とかいう言葉を超え、神々しくすらある。我々が訪問する際は大抵眠っていて、表情の変化としては、抱き方が下手で苦しいか、お腹が空いたか、その他何か不満がある時の泣き顔くらいしか見ることができないが、早いところにっこりと笑う顔を直に観てみたいものだ。まあ、よほど嫌われでもしない限り、時間の問題だろうが。
先日、我が家の庭先にヘビくんが出現したことを書いたが、それ以降恐る恐る庭に出るという習慣が根付いた。駐車スペースの運転席側が当家の庭では最も日照時間が長く、それゆえ暖かい場所であるので、再出現の可能性が高いからだ。別に実害はないだろうし、我が家の庭に我が物顔で汚物を残していく、近所の猫避けにもなるから手荒なまねはしたくはないのだが、DNAレベルにまで刷り込まれた本能的な恐怖にはどうしても打ち勝つことができないので、遠方から恐々と放水攻撃を仕掛けるしかない。命まで奪おうとは思わないから、どうぞ当家の庭には侵入しないでいただきたい。古くからの近所の住人は、ヘビ出現の際はゴミ拾い用のトングで掴んでゴミ袋にぶち込み、近所の川まで捨てにいくそうだが、私はそこまでガマン強くもないし、そもそもトングででもヘビくんを掴むのすら嫌だ。
相変わらず、ココロの状態が上向かない。会社に復帰しようという気持ちはそもそも低いのだが、文筆業の方もここのところ不採用続き。卓球シーズンも終わって連載も一旦中断となったため、今の所開店休業の状態だ。初夏にラグビー日本代表のテストマッチシリーズがあり、それについてはおそらく一筆書かせていただく機会があろうと思われるが、それまでは特に案件もない。こういう時こそ挫折しかけている創作の方に取り組むべきだということはわかっているのだが、PCを立ち上げると、ついついゲームを始めてしまう。ネトゲ廃人なんて言葉があるが、今の私は半ネトゲ廃人とでもいう状態だろうか。大して面白くもないゲームに、気がつくとハマり込んで時間だけ浪費している。意欲の持てる物事に集中するのはうつという病にとっては一つの治療法ではあるが、常に「こんなことしててどうするんだ」という気持ちを持ちながらでは治療のテイをなさないだろう。それゆえ、この駄ブログに愚にもつかない投稿をすることで、辛うじてココロの状態を保っている。とにかくこの日常からは脱しないといけない。
最後にお題。
「ケチらない」と決めているものは書籍の購入だ。高校時代くらいまでの私の「学力」の基礎となったのは、間違いなく豊富な読書だった。ほぼ毎日、なんらかの本を読んでいたし、本を読むことによって身についた「文字を読んで意味を汲み取る」という作業は、少なくともテストの結果を良くすることには結びついた。そしてテストの結果というのは、高校生くらいまでの年代の人間にとっては「自信」を生み出す最大の要素だ。ある意味、私という人間を成立させた最大の要因は読書であると言って良い。今では読書好きが高じて、自分で文章を書き、それを生業にしようとまでしている。
そんなわけで、書籍というのは私にとってはコメみたいなもの。生活の中になくてはならない必需品であり、知的活動の素でもある。というわけで、絶対にケチらない。好きな作家の作品は無論のこと、ちょっとでも興味を惹かれた書籍はすぐに買い求めてしまう。で、本当なら即読み切ってしまうのがベストなのだろうが、残念ながら、即読みとはいかないし、買うのは一瞬でも読むには少なくとも1日は要するので積ん読、溜め読本が増える一方だ。本はまさにコメと同じで、買ってから時間が経つほどに味、すなわち掲載されている情報の価値が下がってしまう。本を買う金もケチってはいけないが、本を読む時間もケチってはいけない。先にも書いた通り、気がつくとゲームに手をつけている現状は、本を読む時間を大いにケチっていることになり、読書によって得られるであろう知識と、その知識を活用した豊かな知的生活を損なうことにつながっている。私はこの現状を大いに恥じなければならないだろう。
改めて、書斎の中を見回してみれば、今に至る私の知的活動の支えとなってきた書籍、これから私の新しい血肉になるであろう書籍がずらりと並んでいる。Kindleの中も然り。これだけの本に囲まれた部屋の中にいる私は実に幸せであるはずなのだ。その幸せに感謝して、もっと本を読む時間を作ろうと思う。