新興宗教、スラム街、青木ヶ原樹海など、「普通の人」が近寄りがたい場所や団体に赴き、タブーなくそのありのままの姿を描き出すことで有名なルポライター村田らむ氏が、主に動物にまつわる怖い話を集めて編んだ一冊。
現世とあの世の間、あるいは「普通」と「異常」の間を渡り歩いてきた村田氏は当然のことながら、人間がなしたものか、はたまた魑魅魍魎、狐狸妖怪の類の仕業によるものなのかわからない現象に数多く出くわしている。その多くは「人怖」というシリーズにまとめられており、すでに3冊が上梓されている。
私は残念ながら「人怖」シリーズは読んだことがなく、たまたまKindleUnlimitedを渉猟しているときに標題の書に出くわした。ちょうど夕刻の、いわゆる「逢魔が刻」だったと記憶している。というわけで、見入られたように衝動DLして一気に読んでしまった。人の形をした魔物も怖いが、動物が由来の魔物もまた怖い。どんな怖さに見舞われるのかは是非とも本文をお読みいただきたいのだが、多くの場合、人間に虐げられた動物の恨みが凝り固まったものが、怪異として姿を現すようだ。
読んでいて、近所にある、かつて多くの猫を繁殖させ、売り捌いていたブリーダーの猫舎が廃墟化した場所を思い出した。古くからの住人によれば、なんでも最後は商売が立ちいかなくなり猫の面倒を見る人がいなくなり、多くの猫が餓死したそうだ。生きながら苦しんだ猫たちの怨念を反映してか、アウシュビッツ収容所もかくやと思われるような、不気味な雰囲気を醸し出していた。悲惨な話を聞いたが故の先入観の為せる業なのか、それとも本当に怨念が漂ってるのか。にわかには判断がつかないが、四国のとある地域には、犬を首だけ出した状態で生き埋めにし、散々に苦しめて殺した上でその怨霊を利用して、祟りをなさせたり、守神にしたりするという呪術が伝わっている。動物が死んだ場所には、こちらの感情に恐怖を生じさせるなんらかのものがあるのは事実だ。こういう場所ばかりを取材し、作品に仕立ててしまう村田氏の度胸とバイタリティーには大いに感心させられた。
こういう書を読むと、結局一番怖いのは生身の人間だということに改めて思い至る。ここで紹介されてい怪異は、獣が由来とはいえ、その発生原因の多くは人間の行為であるということだ。そして生身の人間の中には、我々の想像を容易に、そして遥かに超える異常な行動をなす人物もいる。正体のわからない怪異も怖いのだが、正体がはっきりしている人間の為す異常行動こそが一番怖い。