題名の通り、「別府温泉を日本一にした男」油屋熊八氏の生涯を描いた一冊。
主人公油屋氏は愛媛は宇和島の米屋の跡取り息子として誕生。早くから店に出て米売りに携わる。ただ、店に立つだけでなく、米一升をいかに素早く正確に計るかなど、日々の業務に工夫を凝らす。いかにもPHP出版が好みそうな「商売の心得」を描いたエピソードだ。
長じてのち油屋氏は宇和島町議となり行政に携わる。この際にインフラ整備をはじめとする公共事業の重要性、困難さを学んだようだ。その後、相場で一発当てようと大阪に進出。あらかじめ、これと見込んだ企業の株を買っておき、その企業に利益につながりそうな企画を持ち込んでそれを実行させ、業績を上げさせて株価を上げ、それを売り捌いて利益をあげるという方法で、大阪相場に一時代を築き「油屋将軍」の異名で呼ばれるようになる。この、企画を持ち込んで企業の業績を伸ばさせるというのは、まさに現代におけるコンサルとか広告会社のビジネスモデルそのものだ。ただし、現代においては、この方法に株の売買を絡めてしまうと、インサイダー取引として罪になってしまうらしい。
しかし、相場師というのは浮き沈みの激しい商売だ。油屋氏も日清戦争後の相場を見誤り、無一文になってしまう。そこで頼ったのが妻ユキの縁。ユキが住み込みで働くことになる別府の亀の井旅館の女主人亀井タマエから金を借りて渡米するのだ。アメリカの大学で経営を学び直し、もう一旗あげようというのが目論見だったが、英語もろくに話せなかった油屋氏は大学への入学すら果たせず、3年で帰国する。そこで洗礼を受け「旅人は懇ろにせよ」という新約聖書の言葉を心に刻んだこと、アルバイト先のホテルで、どんな安宿でも毎日シーツをきちんと取り替えるというホスピタリティーの基本を学んだこと、そして、帰国の途中で立ち寄ったハワイで「観光」の実態を目の当たりにしたことなどで、後の旅館経営、そして別府温泉にいかに客を呼び寄せるかのアイデアにつながる「基礎学力」とでもいうべきものだけは身につけて帰ってきた。
帰国後は、亀の井旅館の経営権を譲り受け、旅館経営に乗り出すのだが、ここでも苦戦続きの毎日が待っている。亀の井旅館は別府の旅館街の中でも小さな方で、客は大手の旅館に取られてしまい、そのおこぼれを拾っているような状態だったのだ。ここで、限られたパイの取り合いに血道を上げるのではなく、パイを拡大するにはどうしたら良いかを考え始めたところが、そもそもアイデアを売ることで名を挙げてきた油屋氏ならでは。持病のある子供のケアを手厚くしたらどうか、というようなニッチな視点から出発し、別府温泉により多くの客を引き寄せるためのインフラ整備をどうしていくか、というマクロな施策にまで思考を広げていくのだ。
もちろん、その課題解決のためには様々な困難が立ち塞がってくるのだが、そこは油屋氏持ち前の根気強さとアイデアで、粘り強く解消に務めていく。いい仲間にも恵まれ、別府温泉宣伝協会という組織を立ち上げ、様々なアイデアを出し、実現していく。別府温泉のみならず、今では大定番の観光スポットとなっている地獄めぐりや、完成には至らなかったものの、高崎山の猿公園、そして由布院の開発にも携わる。現在の別府温泉及びその周辺地域の隆盛はこの方の存在なくして語れないのだ。別府駅前にブロンズ像が設置されているとのことだが、その賞賛には十分に値する人物なのだ。
別府温泉から地獄めぐりをするために、バスを仕立てるなどのアイデアも出したが、その際、車掌を女性にするという従来では考えられなかった新機軸も打ち出した。バスがバックする際の誘導時に車掌がかける「オーライ、オーライ」という掛け声はこの別府のバス会社が発祥だそうだ。知らず知らずのうちにすでに油屋氏の「遺産」に触れていたことになる。
波乱万丈の生涯を送り、最後は最愛の妻ユキに看取られて息を引き取った。どんな困難に見舞われても、最後は「万事オーライ」になると腹を括って精一杯生きた男の一代記。なかなか読み応えのある一冊だった。