今週のお題「感動するほどおいしかったもの」
最近↑のゲームにちょっとハマっている。もう30年近く前、初めてMacを買った際にハマった『天下統一』というゲームの、現時点での最新版後継作。現在までに、大友家、毛利家、長尾(上杉)家、今川家、北条家、武田家などの有名武将の一門で統一を果たした。メジャーな武将でばかり統一しても面白くないので、最近はマイナーな武将での統一を目指すことにしているが、茨城の豪族だった小田氏、同じく長崎の片隅から身を起こした有馬氏などでの統一に成功した。直近では、本願寺派という超マイナーな、武将というよりは宗教家率いる一族で統一を果たした。このゲーム、序盤戦で兵力が十分に整わない中での戦闘が一つのヤマとなるのだが、本願寺派は最初から門徒というかなりの兵力を持っている。一般の武将に比べ戦闘力は低いのだが、「数は力なり」を地でいく部隊として、有名な武将たちを捩じ伏せてしまうのだ。おまけに一向宗の総本山でもあることから、たまに城を攻め落としてしまうウザい一向一揆も起こらない。で、実に順調にあっさりと統一を果たせてしまった。ゲームの上ながら、世界でも類を見ない、仏教勢力をバックにした国家を作り上げてしまったのだ。創価学会をバックに持つ公明党が政権奪取してしまったようなものか(笑)。もし、中世で、こんな国家ができてしまっていたら、今現在の日本はどのような姿になってしまっていたのだろうか。十字軍よろしく、宗教的な観点から異教徒を征伐するような戦いを起こしていたかもしれないなどと、突拍子もない想像を巡らすのも、それはそれでちょっと楽しい。
ゲームの楽しさとは別に、学んだことが一つ。豊臣秀吉や明智光秀は、実際の戦闘の前に、敵の補給路を断つなどして勢力を削いだ上で、敵に倍するような兵力を送り込んで、戦う前に降伏させるような戦の仕方をしたそうだ。この「天下統一」というゲームもまさにそんな感じで、決着はあくまで戦闘でつけはするものの、戦闘の前にいかに敵より多い兵力を蓄えておくかが勝負となる。兵力を蓄えるには、領国を富ませるための施策が大切。つまり、戦う以前の準備が一番大切なのだという結構深い真理を教えてくれた。我以外皆師。どこにでも、何にでも、学びというものは転がっているものだ。
先日、私と姪っ子ちゃん1号の合同誕生祝いパーティーを行った。私も姪っ子ちゃん1号も4月生まれなのだ。近所にある田舎としてはちょっと洒落たレストランで、ちょっとよい食事をし、当家に場所を移してケーキを食べるというささやかなものではあったが、主役の姪っ子ちゃん1号が大暴れだった。2ヶ月前に姪っ子ちゃん2号が誕生したため、両親と、同居している祖母の注目はどうしても姪っ子ちゃん2号の方に行きがちだ。しかし、当家夫婦はまだまだ姪っ子ちゃん1号の方の世話を焼くことが多い。誕生直後の乳飲み子は抱っこ一つとってもビクビクもので、可愛くはあるのだが、気疲れする。
姪っ子ちゃん1号の方は体力勝負にはなるが、多少手荒に扱っても大丈夫な年廻りになった。で、姪っ子ちゃん1号と一所懸命に遊ぶのだが、それが心地よい姪っ子ちゃん1号は片時も我々のそばから離れない。しまいには、私が鍵をかけ忘れたトイレの中にまで入ってきてしまった。大の真っ最中であった私は、当然のことながら大事なところを全てさらけ出したまま。そんな状態でも「ねえおじちゃん、早く遊ぼうよ」と手を引っ張っちゃう姪っ子ちゃん1号。一歩間違えれば、それこそ犯罪に間違われかねない異常事態(笑)。さすがの私も大慌てで、慌ただしく出すものを出してなんとか窮地を脱した。自宅であっても、トイレの鍵はしっかりかける、という教訓をもらった。まあ、こんだけベッタリと懐いてくれているのもあと何年のことなのかと考えると、貴重な経験でもあった。
最後にお題について。
ズバリ答えてしまえば、志摩観光ホテルのディナーで食べたアワビのステーキだ。もう30数年も前に味わったものだが、あの時の感動は今でもありありと思い出せる。当時私は会社に入社したてで、訳もわからないまま、お得意先様の接待旅行について行った。その際に宿泊したのが志摩観光ホテルで、そこで供されたのがアワビのステーキだったというわけだ。この一品を味わっている時間だけは、仕事も何もかも一切忘れ、ただ、舌の上で展開される美味を味わうことに自然と集中してしまっていた。磯の香溢れるアワビを、クリーミーなソースがまろやかに包み込んだ、奇跡のような一皿だった。この瞬間は「なんていい会社に入ったんだろう!!」と感激したのだが、今は、大いなる選択ミスであったと後悔する毎日だ。ただ、そのアワビのステーキを食わせてくれただけでも、会社に在籍した価値はあると思わせてくれた逸品ではあった。現在までにあの味を超えた感動は味わえていない。