毎日毎日モヤモヤしている。身近なところでは、会社に対する不満と不安、一々私の神経を逆撫でする母の言動、行動、空腹なのに一向に食事の用意をしてくれない最高権力者様etc…、世間に目を向ければ、改革が進まない政治、泥沼化しているロシアのウクライナ侵攻などなど。くっだらないことから、高尚なことまで、腹の立つことばかりだ。
おまけに私は、過去の嫌なこと、腹が立ったことを思い出して反芻してしまうという悪癖も持ち合わせている。直近の話題から半世紀前の遠い記憶まで、ふっと浮かんできた苦々しい思いに性懲りも無く怒りを感じ、ココロのエネルギーを浪費してしまう日々が続いている。
というわけで、いかに怒りを手放し、ココロのエネルギーをセーブしてQOLの向上に繋げるかは私にとって永遠の課題であり続けており、その課題解決策を探す読書も続いている。そんな中で目についたのが標題の一冊。忘れよう忘れようとしても次々と思い出されるネガティブな感情たちをなんとか鎮めるためのヒントがないかと思って読んでみた。
著者石川清美氏は中卒で働きに出て、水商売を始め、さまざまな職業に就き、離婚も二度経験しているという波瀾万丈な生活を送ってきた人物。私には想像もつかないような辛酸を舐め続け、世の中を呪詛する言葉しか浮かばなかった石川氏がたどり着いたのが「悪口ノート」という存在。この悪口ノートが如何なるものなのか、一体どういうことを書けば良いのかについての詳細は是非とも本文をお読みいただきたい。考え方から、具体的な書き方まで懇切丁寧な解説が綴られている。
考え方の一端だけ紹介しておこう。それは「事実」(本文中では「ネタ」)とその事実によって引き起こされた「感情」(本文中では「ガセネタ」)とを分けて見るということだ。ちょっとモヤモヤを感じた時には素直にその時思っていることを全て書き出すのが悪口ノートなのだが、書きっぱなしにするのではなく「ネタ」と「ガセネタ」に分けるというのは私にとっては目からウロコだった。今までのモヤモヤを改めて振り返ってみると、事実そのものよりも、その事実によって喚起された感情で、勝手に怒りを増幅させていたことばかりだったからだ。その時の感情は紙の上で自由に走らせて良い。人や物事に対する呪詛の言葉もありったけ書いてしまってよい。ただし、書き切ってしまったらネタとガセネタをしっかりとわけ、事実に対しての対策を講じていく。こう考えるだけでも、私は前向きになれた。
とはいえ、まだ本格的に書いてはいない。書き始めたら、封印してきた怒りが一気に解放されて、精神状態がとんでもないことになるかもしれないという「恐怖感」が先に立ってしまっているからだ。まあ、直近の小さな怒りから徐々に慣らしていくしかないのだろう。まずは小さな一歩から始めてみよう、という気持ちが持てただけでもこの本を読んだ価値はあったと思う。