脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

考えさせる点もツッコミどころも多々ある佳作 『ノック 終末の訪問者』鑑賞記

 

一切の予備知識なく、自宅でのトレーニング時の「ながら観」作品として鑑賞した一作。途中からトレーニングよりも鑑賞の方に真剣に向いてしまった。

 

冒頭は一人の東洋系の少女ウェンが草っ原でバッタを捕まえているシーンから始まる。周りには人影がないことから、結構な山の中らしい。そこにリーチ・マイケルを一回り大きくしたような厳つい男(レオナルド)が近づいてきて…。最初からいかにも不安を煽るようなシーンが続く。これから、どんな猟奇的な場面が出てくるのだろう、と思っていると、意外にも和やかな会話がしばらく続く。しかし、レオナルドが「仲間」と呼ぶ3人が現れると少女の顔には恐怖が走る。仲間たちはそれぞれいかにも奇怪な道具を手に持って近づいてきたからだ。

 

少女は「二人の父」がいるコテージへと逃げ帰る。エリックとアンドリューはゲイカップルで二人はいわゆる西洋人の顔立ちなので、ウェンはどちらかの精子代理出産させた子ではなく、純粋な「もらいっ子」であることがうかがえる。

 

コテージの中の3人は慌てて窓やドアを塞いだものの、4人の訪問者はそれを蹴破って侵入してくる。エリックとアンドリューは抵抗したものの結局は拘束される身となる。拘束された3人に4人は「明日までに3人のうちの誰かに犠牲になってもらわないと、人類が滅びる」というにわかには信じ難いことを言い出し、犠牲者を選ぶことを要求してくる。

 

いきなりとんでもないことを言われた3人は、至極当然のことながら、最初は混乱し、次には怨恨説を考え、さらにはゲイカップルに対する過度な偏見なんかも考える。犠牲者を1人選ぶなんてとんでもない、という基本線は崩さないまま。すると4人のうちの1人が突然他の3人の手によって殺され、TVの画面には大津波が海岸を襲うニュース映像が流れる。

 

ここで素朴な疑問が一つ。なんで4人のうちの1人が死ななきゃならないんだろう?犠牲を出すことを拒む3人に対しての一種の嫌がらせなんだろうか?死ぬことによって「封印が解かれた」という旨のセリフがあるのだが、であるならば、死なずにいれば封印は解かれないんじゃないのか?結局4人の訪問者たちは次々と死んでいくのだが、どうにもこの4人の死の意味するところがわからない。なお、「4人」にはヨハネの黙示録の四騎士という意味が乗っけられているようなのだが、キリスト教が浸透している社会にあっては、この4人が次々死んでいくということの寓意はすんなり理解されているんだろうか?通り一遍のごく浅い知識しかない私にとっては理解を阻む大きな疑問となった。

 

犠牲を供出させられるのがゲイカップルおよびその養子であるというのも何か企みが隠されている設定なのだろうか?純粋に生物学的に言ってしまえば同性愛者のカップルは種の保存という意味においては全く意味をなさない存在だ。種の保存に対して意味を持たない存在が、「人類という種の保存」に関しての命運を握るというこの設定、何か寓意があると思うのだが、穿ちすぎた見方だろうか?

 

ともあれ、4人が自分たちのもとを訪れ、犠牲者の供出を求めてきたのは偶然でも私怨のためでもないことを理解させられた3人は、人類全体の救済か、最愛の家族の犠牲かの選択を迫られることになる。人類滅亡までの時間は残り少ない。彼らは一体どんな選択をなすのか?というところでストーリー紹介は終了。結末はぜひ本編をご覧ください。

 

ナイト・シャマラン監督作品特有の、訳のわからない不安が、ストーリーの進行と共に徐々に明らかにされていく、というドキドキ感はなかなか良かったし、数々の企みの意味を考えさせるという意味においても興味の尽きない作品だったと思う。率直に言って、おススメです。