脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.170(休職日記7)

もうかれこれ休職に入って5ヶ月だが、どうもスッキリしない。

実家の整理という「業務」になんだかんだで引っ張り回されているし、母と会話したり、行動をともにすることが非常なストレスになるということもある。まだ、祖母の相続問題という大きな病根もある。

 

昨日の通院でそのことを率直に話してみた。現在のメンタル状況では、休職の一旦の期限である六月末になっても、まず、会社に行くという行為そのものが壁になってしまう。何かを始める前に、その行為にまつわるネガティブ要素の方に強く心が向いてしまい、結局何もできないままストレスがたまる、というのは私の悪い癖だ。現時点では、現住居から会社までの2時間以上の電車通勤のことを考えると、とてもじゃないが耐えられそうにない。学校に行くのが嫌な小学生が、仮病を使うのと同じような心理だろうとは思うが、電車に乗る前に何らかの身体症状の発症が予想されてしまう。

 

会社に復帰することが第一の目的ではないが、何しろ、状況が閉塞していて文字通り身動きができない。何か一つでも変わったことを試してみようとして、薬について医師に相談してみた。今までの薬の種類を変えることはないが投与量を増やしてみようという診断が下った。まあ、抗うつ剤というのは一朝一夕で効果が出るものではないから、5月に向けてどう効果が出るかをウォッチしていきたいと思う。

 

そんな中、私が母の代理で出席する予定だった町内会の業務の年度末の会議をすっぽかしてしまっていたことが判明した。これは完全な私のミス。以前の実家の片付けの際に町内会長さんから言われていた日時がすっかり頭の中から抜け落ちていた。現在の心理状況ではこういうミスも結構大きな打撃となって心にたまる。幸い業務そのものは滞りなく終わったようでまさしく不幸中の幸ではあったが。

 

まだ後3ヶ月近くは休職期間があるとはいえ、私の中ではまだまだ復帰の日は遠い。休職に入った当初は、それこそ制度として認められている期限ギリギリまで粘ってやろうとか考えていたのだが、一向に上向かない精神状態のおかげで、焦りが出てきてしまった。最悪、退職も致し方なし、という考えを持ったつもりでいたが、結局は臆病者なんだなぁと自覚させられた。収入の道が途絶えるのが恐怖なのだ。まあ、条件の劣化は免れ得ないが、単に働くだけならどこにでも職は転がっているし、文筆業の方だってようやく定期的な仕事が回り始めた。蓄えもそれなりにある。簡単に死ぬこたぁねーよ、と開き直っていくしかない。