脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.169(お題に沿って休職日記6)

私がとらわれていた「しなきゃ」

 

まだまだ心休まる日が来ない。

 

先月末はライティングの請負の締め切りに追われてかなりしんどかった。これは私自身の怠惰のツケだ。月初から3日に1本ペースで書いておけばなんの支障もなかったのに、まだいいや、まだいいやで先延ばしにしてきた結果である。ライティングの作業そのものは楽しいので、さほど苦にはならなかったが、なんだかんだで睡眠時間は削られるし、生活のリズムは崩れるしで、結局は疲労を溜めてしまう結果となった。ただでさえ、実家の整理という肉体労働と、母の相手という精神的負担で疲れているというのに。今日の午後も実家の整理のために時間を使わされる。無駄なモノをどんどん処分していき、モノがいっぱい過ぎて空気の流れすら澱んでいたような実家がスッキリしていくことだけが唯一の救いだ。

 

で、こんな日々が続いているうちは職場への復帰など到底おぼつかない。会社の仕事こそ免除されているが、それ以上にストレスフルな実家の仕事に振り回されているからだ。祖母、伯父の死去の度に先送りにされてきた遺産の問題もある。母はもう介護施設に入ってしまったのでそのことに関して全くやる気がない。もっとも、下手に口を出されても関係者全員が感情的に拗れるだけなので、何も口を出して欲しくはないが。その辺のことを考えるだけでも気持ちはますます沈んでいく。ただでさえ焦燥感と倦怠感に苛まれているというのに。

 

というわけで、私はまだまだ「しなきゃ」にがっちりとらわれている。一つだけ逃れられた「しなきゃ」は「会社に早く復帰しなきゃ」だ。会社が定める休業の期限にはまだまだ余裕があるので、リミットギリギリまで休めばいい、という気持ちになっている。で、リミットが来たら、最悪辞職も止むなし。無理して会社に戻ろうと考える気は今の所捨て去っている。

 

母が介護施設に入るにあたって、資産状況を確認してみたら、最悪ここで辞職したとしても、なんとかなりそうだという見通しがたったということもある。地元で何かアルバイトでもすれば食ってはいける。文筆業で食っていくことを目標に、年金生活までを食い繋ぐ、という生活が可能だとわかったことで、定年まで勤め上げて云々カンヌンという義務感はなくなった。まあ、これだけでもかなりホッとしているのは事実だ。収入が激減するのは痛いが、それよりも今は心の方が痛い。