脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

全ての作品を「公式」に当てはめて観ることには疑問を感じはするものの… 『「おもしろい」映画と「つまらない」映画の見分け方』読後感

 

 

私のこの駄ブログは読書、身辺雑事、ラグビーそしてエンターテインメントを四本の柱と位置付けている。なんだかんだで、愚痴を書きまくる身辺雑事が一番多くねーかよ、おい?というツッコミもあろうかと思うが、自分自身の位置づけなのだから仕方がない(笑)。

 

エンターテインメントには、音楽やドラマ、時には演劇鑑賞やオペラなんかも入ったりするが、基本的には映画がメインだ。で、折あらばなんとか飯のタネにしたいとの欲望も持ち合わせている。その昔通っていた文章教室の講師の先生が映画評というものの市場の大きさ、参入のしやすさを力説してくれていたというのがその理由の一つ。新作を封切館で観まくるのは、消費する金額面、時間面からなかなかにハードルの高いオハナシではあるが、DVDなら1枚100円だ。たとえ一本千円にしかならなくても、かなりの利益幅にはなる。時給という観点から言うとコンビニのバイトの方がよほど高くはあるが(笑)。

 

で、当然のことながら、金になるかならないかは批評の仕方による。「こう感じた」「そう思った」だけではカネはおろかオハナシにもならない。その昔の大学時代、文学評論の講義を取ったことがあったが、その時の教授(韓国の歴代の大統領の誰かによく顔が似ていた)は「この作品について、私はこう感じました」とか言おうものなら『〜と感じたというのは「印象批評」と言って、文学作品の鑑賞の中では下の下です。もっと論理的に、どこがどう優れているのかを説明しなさい』と今の世なら「アカハラ」とか「パワハラ」とか追求されるであろう内容と口調で厳しく咎められた。私が今この駄ブログに投稿している映画評なんぞ(書評もそうだが…)、この教授に言わせれば「印象批評」の最たるもので、なんの根拠もなくただ面白かったとか面白くなかったとか書き散らかしているだけだ。

 

というわけで、多少なりとも鑑賞の「方法」について参考にならないかと思って買い求めたでろう一冊が標題の書。紙の本として買い求めたのでいつ頃なのかはわからないが、奥付をみたら初版が2011年だから、出てすぐに買ったとしても既に10年以上が経過していることになる。買った本はすぐ読むべし、というのは鉄則なのだが、ついつい多くなる積ん読山(今はKindleに溜め読だが)。

 

さて、この書は映画を批評するのではなく「分析」しましょうというのが主な論旨である。著者沼田やすひろ氏は映画産業振興機構認定の「シナリオ・アナリスト」であり、監修の東京工科大学メディア学部客員教授が金子満氏が提唱したエンタテインメントの普遍構造を取り入れて確立した「KNセオリー」を用いて、文中で実際にさまざまな作品を取り上げて分析を試みている。

「KNセオリー」がどんなもので、映画というものをどのような要素に切り分けて、その各々をどう分析していくのかについては是非本文をお読みいただきたい。目からウロコなお話は満載である。なんとなく「この作品、なんか物足りないなあ」とか「キャスト大したことないけど、面白かった」とモヤモヤと感じていたことに対する明確な答えがズバリと出てきそうな予感がする、ってこれも印象批評だな。実際にある作品を分析してみるのが一番いい例示になるのだが、そうなるとこの書評のために一本映画を見なきゃいけなくなってしまい、拙宅に来て大暴れしていった姪っ子ちゃんの面倒を見た上に、一本ラグビーの原稿を書いた今日のこの状態ではとてもそんな気力はないので、読者の皆様には思いっきりの肩透かしで申し訳ない。

 

ただ、次回の映画鑑賞記はぜひこの「KNセオリー」を用いた分析を試みてみたい。おそらく、自分がなぜその作品を面白く、あるいはつまらなく思ったのかを具体的に説明できるとは思う。

 

一方で、映画はそれぞれの人がそれぞれの観方で観て、それぞれの感想を持ってもいいものだという気もしている。何がなんでも分析の公式に当てはめて考えるというのも窮屈ではないかと思う。たとえばアイドルの顔見世興行的な作品を分析しても、おそらくつまらないという結論にしかならないだろうが、ファンはそのアイドルさえ出ていればそれで満足なのだ。この「目当てのアイドルさえ出ていれば」という状態の楽しみについてもちゃんと「分析」されてはいるが(笑)。

 

批評というものに関してのかなり有益な指標を与えてくれた一冊であることは間違いない。