脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.150(日常生活あれこれ)

今回は久しぶりに、思いっきりの身辺雑事を書いてみたいと思う。

 

ここのところ、心身ともにとにかく疲労している。身体的な疲労感の原因は花粉症だ。鼻水はひっきりなしに出るし、目は痒いし、くしゃみは連発するし、だるさもずっと感じている。目なんぞは、痒みを通り越して強膜炎まで誘発してしまった。アレルギーを抑える薬を飲んでいてもこの鬱陶しさは消えない。あと2ヶ月は辛抱の日々が続く。

 

ココロの方の疲労感は、昨年から加わった新しい、本当につまらない仕事のストレスだろう。外部環境にさまざまな変化があったとはいえ、毎日深刻なものではないもののトラブル続き。

おまけに上司は特にフォローするでもなく「最優先でやってください。自分で方法も考えて」の一点張り。で、自分なりに考えてやってみれば、「それはやり方が違う」。「やり方が違う」ってのなら最初から正しいやり方教えろよ。元々担当していた仕事に差し障りがないからということで引き受けたのに、完全に元々の仕事に支障来してるぜ、まったく。私の中の優先順位からいけば、元の仕事の全てが、新業務より上だ。新しい業務は「片手間」で済むってことで引き受けたのに、今や最大のストレッサーだ。

 

そんなこともあり、今飲んでいる抗うつ剤精神安定剤の効き目にも今ひとつ実感が持てないので、数年ぶりにカウンセリングを受けてみることにした。上司は私の不満を汲んでくれないし、このご時世で週に1回しか出社しないから、同僚と愚痴の言い合いなんていうストレス解消も図れない。今の膠着状況を一度思いっきりぶちまけてみるのも打開の手立てではないかと考えた末の決断だ。なお、上司とちょっとした面談をする機会があったので、カウンセリングを再開する旨、チラリと話してみたら結構焦っていた。まあ、上司のフォローに不満を感じているのも事実ではあるが、そこはズバリと言わずに「いろんなことが重なって少々精神的に不調なもので」とだけ答えておいた。引っ越しもあったし、母の介護もあるし、伯父は亡くなったしで、それらしき原因には事欠かない(笑)。

 

ふと思い立って、IT機器を整理することにした。現在、主に使っているmacminiの他に、秋葉原のPCショップオリジナルの円筒形の小型PC、外でも文筆活動ができるようにと買い求めた小型のノートPC、自炊用のスキャナのオペレーティングマシンとしての10年モノのMacBookProと買い替え時にデータ移行が済んでからということで下取りしてもらえなかったiPhone8が、ほとんど使われないまま、机の上に鎮座ましましている。勢いで買い求めてしまったり、捨てるのがもったいないということで持ち続けてきたが、ここで一気に勝負に出る。

近所に中古品の売り買いを主とする家電量販店の支店を見つけたので、そこに全ての機器を持ち込んで処分し、代わりに小型のノートPCを買うことにしたのだ。ノートPCは書斎でスキャナのオペレーティングマシーンとして用い、外出時には文筆活動に使う。まあ、田舎ゆえ、文筆活動に適したカフェなどはないので、外に持ち歩くことはあまりないのだが…。何しろ、今持っている機器は全て反応が遅い。macminiや会社のPCの反応に慣れているが故に、今回売ろうとしている機器を使ったときの反応の遅さには思いっきりイライラさせられる。いいペースで走っていたのに、いきなり足元に縄でも張られてケッ躓かされるような思いをすることがしばしば。机の上のごちゃつきを整理する意味でもそれなりの性能を持ったノートPC1台に絞り込むというのはそれなりに合理的な判断だと自惚れておく。単に「モノが買いたい」という買い物依存症が顔を出したに過ぎないのかもしれないが(苦笑)。

 

さて、そろそろ春が訪れようとしている今の時期、当家の最高権力者様の最大の関心事は庭の造作である。文字通り猫の額ほどの広さしかない庭ではあるが、現在は石ころ混じりの土が剥き出しになった、「原野」状態である。このままにしておいたのでは、雑草が跳梁跋扈するだけなので、見苦しくないようにだけはしたいというのは私にも共通した心情だ。最高権力者様としては、花壇を作り、雨などでぬかるんでも泥で汚れないような敷石で通路を作った上で、残りの場所には芝生を植えるという心算のようだ。あ、あと一つ。ハーブやちょっとした野菜を植えるためのプランタースタンドも設置するようだ。このプランターとそこに入れるための土は既に届いている。明日の日曜に私が組み立てることになるだろう。

 

まあ、庭に関してはこれからさまざまな試行錯誤を繰り返していくことで、いろんな知恵や知見を手に入れていき、満足いくまで改良を続けていきたいと思う。会社の仕事と違って、こういう悪戦苦闘は望むところだ。成果が目に見えてわかるし、試行錯誤そのものが楽しい。私は花壇の片隅に、集合住宅のプランターではほとんど生育しなかったラベンダーを植えて育ててみたいと考えている。