脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.144(お題と人間ドックとナンバープレート交換)

今週のお題「自分に贈りたいもの」

 

書くべきネタは他にも多々あるのだが、新しい糖質0%のパーフェクトサントリービールという不埒な名前のビールが思いの外美味くて、少し多めに飲んで酔っ払っちゃったので、勢いで書いてしまう。

 

 

今の自分に贈りたいもの。それはズバリ休暇!!

 

何度も書いている通り、ここ数ヶ月、休日はあっても「休んでいない」。ウイークデイはもちろんのこと、休みの日でも、新しい家を快適な状態にするために何かしら作業をしていたので、たとえば1日寝床で過ごすとか、温泉にゆっくり浸かって読書三昧などという心身ともに休まる時間というのがほとんどなかったのだ。先週など、ようやく家の片付けもほぼ済み、会社の仕事も一段落したと思ったら、伯父が急逝して、葬式だなんだでバタついた一週間になってしまった。まあ、伯父のおかげで、実は一番面倒な仕事を公然とサボることができたりはしたのだが(笑)。

 

好きなものを食いたいだけ食って、寝たいだけ寝て、酒も飲みたいだけ飲むみたいな、なんの制約もない休日を過ごしたい、というのが今の一番の欲求だし、自分に贈りたいモノでもある。いざ、そういうことができそうな日になると、なんだかもったいなくていろんなことに手をつけてしまったりはするのだが…。今週は難しいが、来週末は三連休なので、一日くらいは本気でダラダラしてみたいと思う。

さて、今日は、新居に移住してから初めての人間ドック受診の日だった。今までは新宿の病院を利用していたが、今回は郷里では名の通った大きな病院で受けた。まさか人間ドックを郷里の有名な病院で受ける日が来るとは…。などと柄にもない感慨に耽りながらもどんどん検査は進んでいく。新宿の病院と比べて見劣りする点は一切なかった。所在地がどこであれ、ちゃんとした医者がいて、設備があれば問題はないのだ。「東京は一流、地方は二流」という悪しき先入観がいつの間にか「常識化」していたことを大いに恥じた。新宿の病院では食事代として1000円分の商品券を渡されるだけだったが、この病院ではちゃんと食事がでた。それもおそらく1000円では賄いきれないほどのクオリティーの内容だった。周りに高い建物がなく、天気が良かったこともあって、郷里が誇る名峰の数々をじっくりと眺めることができた、というのも重要な隠し味になっていたと思う。

 

私が郷里で通った学校の校歌の歌詞には必ず山の名前が入っていたが、なるほど、改めて眺めてみると、並び称される二つの山をはじめとする数々の山々は皆美しい。在籍当時はピンと来なかったが、見渡す限りの空間がビルで埋め尽くされていた東京がいかに味気ない街だったかというのを実感した。この山々の美しさを再認識できたことだけでもUターンした価値はあると思えた。長時間の通勤は疲れるけどね(苦笑)。

人間ドック自体は午前中で終了したので、午後は、引っ越し後に残った最後の懸案事項とでもいうべき、自家用車のナンバープレートの交換に向かった。

前回交換したのは、確か千葉だったよな、という人間ドック受診時とは別種の感慨に浸りながら、陸運局へ。陸運局で申請書類を書く段になって、「あ、車庫証明取ってから1ヶ月以上経過している」とか「印鑑持ってこなかった」とかいうことに気づいたが、今更仕方ない。拒否されたらそれまで、と開き直って提出したら、なんのことはない、全くお咎めなしでさっさと新しい車検証と、ナンバープレートが交付されてしまった。お役所の申請事項が簡素化されるのはいいことだ。融通が効くようになったのもありがたい。

 

今日の陸運局で感じたのは、近くに「リトルブラジル」などという異名を持つ自治体があるせいか、ポルトガル語やらスペイン語らしき言語を操る、どうみても日本ネイティブではない人々が数多くみられたこと。中東の民族衣装を身につけた、明らかに日本ネイティブではない人も一人いた。東京なんかよりよっぽど国際化している(笑)。

こうした状況を反映してか、案内板の文字も英語の他にポルトガル語で表記されていた。窓口の職員もカタコトくらいなら話せるようだった。必要に迫られれば身についちゃうもんなんだろうね。

 

というわけで、自家用車もようやく地元のナンバーに変わった。これで「コロナに感染した東京モンは来るんじゃねーよ」という無用の誤解を生むことはなくなるだろう。付け替えた翌日である明日には東京に行く用事があるので、今度は「田舎もんがでけえツラして東京で車転がしてんじゃねーよ」という恫喝を受けることになってしまうのだが(笑)。