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サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

イタリア建国の英雄は楠木正成か足利尊氏か? 『ガリバルディ-イタリア建国の英雄』読後感

 

 

何度か書いている通り、今年は永年勤続のご褒美休みをもらえる事になっており、コロナ騒ぎがなければ、イタリア旅行に行くつもりでいた。10年前に一度訪れて、国全体の、長い歴史をたたえた佇まいと、豊かな食文化に魅了されたためだ。10年前は各都市の名所を駆け足でめぐるツアーに参加したのだが、ローマとフィレンツェあたりを集中的にまわる旅にしたいという希望も持っていた。残念ながら、今回はその希望は叶わず、ほとんど丸々引越しに費やす事にはなったが…。

 

そんなわけで、イタリアという国への関心はずっと持ち続けていた。標題の書も、おそらく本屋の棚か、平台で「イタリア建国の英雄」などという言葉を見かけて、その瞬間に買い求めたものだろうと思う。関心は高いが知識はほぼ皆無という私は「ガリバルディ」なる人物がどんな人物か、全く知らなかったが、「建国の父」というからには、彼の地ではさぞかし有名なのだろうし、現在のイタリアにも少なからぬ影響を及ぼしているだろうと、半ば反射的に考えて購入したに違いない(笑)。

 

そんなわけで読み進めてみたが、著者藤澤氏は冒頭にイタリアの哲学者・歴史家ベネディット・クローチェの「イタリア史は1860年に始まる」という言葉を紹介している。歴史に名高いローマ帝国がそのまま現在のイタリア共和国になったわけではないという、この率直な指摘には一瞬虚を突かれた。そうだそうだ、フランスやオーストリアといった強大国に占領されていた時代や地域もあったし、今ではイタリアの都市の一つとなっている地域が独立国となっていた時代も長かった。長靴型の半島の勢力図が変化する度に、人種や宗教、言語、文化などがシャッフルされるというカオスな状態が、ようやく落ち着き、近代国家としてのイタリア共和国が成立したのが1860年というわけだ。そしてその成立に大きく寄与した人物の一人がこの書の「主人公」ガリバルディというわけである。

 

彼はフランスのニースで他者と運送業を共同経営する家族の三男として生まれた。家庭は取り立てて裕福というわけではなかったが、貧困に喘ぐことはなかったようで、彼は当時としては恵まれた環境下で教育を受け、やがて船乗りとしての職を得る青年期を迎える。この時期に民主主義に影響を受けたことと軍隊に入隊したことが、後の彼の思想と軍事的な技術のバックボーンとなる。

 

やがて軍を脱走した彼は南米に渡り、ブラジルで敵国の船舶を攻撃して積荷を奪う私掠船を指揮するようになり、イタリア人のコミュニティーが中心となった独立運動に身を投じた後にウルグアイに活動の拠点を移し、アルゼンチンと戦う事になる。ここで軍事、とりわけゲリラ戦の実績を積んだようである。なお、彼のトレードマークとなる赤シャツはこの時代から着用し始めたようだ。赤という色には特に意味はなく、血の汚れが目立たないという理由で食肉業者の作業服に採用されていた赤い布地の余りを転用したことがその起源だったそうだ。偶然は時に思いもよらぬ大きな効果を及ぼす。何しろ赤という色は目立つ。そしてガリバルディという存在もどんどん目立っていった。

 

そしていよいよ、苦戦続きの母国イタリアの独立に向けての戦いに、救世主として迎え入れられるのだ。とはいえ、連戦連勝というわけではなかったらしい。少数の兵でゲリラ戦を仕掛けるのは得意でも、大人数の部隊を率いての戦いは苦手だったようで、華々しい戦いを見せたこともあれば、大負けに負けてそれこそ数十人のレベルまで減ってしまった味方と、闇に紛れて命からがら逃げ出すというような場面もあったようである。

 

この辺が、私が足利尊氏とたとえようか、楠木正成とたとえようか迷った所以でもある。ともに苦戦を凌ぎ続けた強者である。足利尊氏は一時は九州まで逃げ落ちるような敗北を味わったが、最終的には最高権力者の座に就いた。楠木正成は、自らは覇権を目指さず北朝に与する勢力の撃退にのみ精力を傾けたが最後は力尽きた。ガリバルディは勝利と敗北を繰り返しながら最終的にはブルボン軍を撃退したことでイタリア独立に際しての戦いでは最大の勝利を得たが、権力の座に就くことは志向しなかった。

 

結局のところ、足利尊氏でもなければ楠木正成でもなく、ガリバルディガリバルディでしかなかった(笑)。

 

それにしても、イタリア半島の歴史は実に複雑怪奇である。先に述べたように、当時の超大国の蹂躙されていた時期もあれば、小国がそれなりの勢力を持って乱立していたこともある。そして、長靴の向こう脛の部分にはキリスト教の総本山ローマが独特の存在感で「侵すべからず」という雰囲気を醸し出している…。この複雑さに比べれば、基本的に同じ言語を操り、同じような生活様式を基本属性としていた人間同士の戦いであった日本の戦国時代なんかまだ単純だと思えてしまうほどだ。ほんの一冊本を読んだだけでは到底理解しきれないイタリアという国の魅力にまた一つ魅せられてしまった気がする。主にお金の問題で(笑)、簡単に行きたいなどとは言えない国ではあるが、興味は持ち続けていたい国ではある。