引っ越し下準備の一環として、USB-HDD内の録り溜め作品を片っ端から見ることにしたのだが、その第一弾として適当に選んだのが標題の作品。1968年公開のアメリカ作品。
ニューヨーク市警の刑事マディガンが相棒のボナーロとともに、マフィアの大物ベネシュの部屋に踏み込むところからストーリー開始。情婦とベッドインしていたベネシュに銃を突きつけて、連行しようとしたまではよかったが、ベネシュが情婦の裸を見せるような行動をとり、裸体に目を奪われた二人は一瞬のうちに逆にベネシュに銃を突きつけられ、まんまと逃げられてしまう。
で、72時間という制限を設けられた二人が、ベネシュを追い詰めていくというのが身も蓋もないストーリー紹介。
幾多の刑事ドラマを散々観たせいで、こうしたストーリー展開には慣れてしまっている身にとっては、筋立ては陳腐にしか思えなかった。本来なら、この年代の作品は、私が幾多観た刑事ドラマの先達として敬意を持って鑑賞すべきなのかもしれないが、古典として尊ぶ気になれないくらい、盛り上がりがなかった。
72時間という制限にじれるわけでもなく、淡々と休憩取ったり、酒飲んだりしているし、例えば、捜査の方針をめぐって相棒同士が衝突するなどの人間模様も描かれない。
サイドストーリー的に、マディガン・ボナーロコンビの上司が不倫していることとか、さらにその上司が自身のバカ息子のおかげで、マフィアから強請られて不正を働いていたことが語られたが、こちらも深く掘り下げられることなく、筋立ての表面を軽くなぞった程度の描き方しかされなかった。
無理矢理こじつけて拡大解釈すれば、マディガンが普段から仕事に追いまくられるあまり、妻との関係がギクシャクしている(ほっぽって置かれ続けることへの、不満と寂しさから、あと一歩で別の男と関係を持ちそうになる)のを描くことで、当時社会問題となりつつあったであろう、経済優先が原因の家庭の崩壊ってやつを風刺しているということが言えようか。そんなことでも考えていない限り、寝てしまいそうな作品だった。
まあ、謎が云々という作品ではないので、ネタバレ批判を覚悟で、結末を述べてしまうと、結局マディガンはベネシュとの銃撃戦の末、相討ちで死んでしまうのだ。自ら蒔いた種を刈り取ることには成功したが、その代償が自分の命だったという結末には苦々しさはあるものの、その苦味には深みがない。命を賭して、家庭を犠牲にしてまで職責を果たした、ふーん、それで?としか言いようのない結末なのである。所属団体への貢献こそが、人間の第一の価値であり、貢献に関する試練を乗り越えていくことが人間としての価値の向上にもつながるという哲学を叩き込まれてきた私ですら、こんな感想しか持ちようがなかったのだが、この作品は封切り当時どんな反響を呼んだのだろうか?皆が皆涙を流して感動するような作品だったとは到底思えないのだが…。
公開当時のアメリカの風景を眺めるくらいしか楽しみのなかった作品だった。