脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記55

右眼の痛みと充血が一向に良くならない。正確にいうと、徐々に痛む時間は短くなってきてはいるのだが、その分なのだろうか、痛んでいる時間中の痛みが重くなったのだ。一旦痛み出すと、2時間くらいは痛みが持続し、しかも偏頭痛まで伴う。場所が場所だけに、揉んだりさすったりもできない。せいぜい目薬をさして、痛みが引くまで目をつぶっているしかない。そのまま寝入ってしまって、起きたら目の痛みも消えている、というパターンもあるが、これは夜間の在宅時しかできないやり過ごし方だ。下方向を見ていて、上方向に視線を移すときや、近くのものをみようと、ピントを合わせようとする際の痛みが一番ひどい。その辺の筋肉やら神経やらが炎症を起こしているのだろう。

 

目が痛いという状態は、想像以上に行動を制限する。車の運転を始め、推奨されない動作もあるが、何より、何かをやろうという気力が削がれてしまうのだ。そもそも私は鬱気質なので、一旦嫌だと思い始めると、なかなかその気持ちを捨てる事ができないのだが、目が痛い、という状態は、「行動を起こせない」という初歩的な病状への言い訳になってしまうのだ。というわけで、トレーニングはしないわ、英語の勉強はしないわ、文章は書かないわ、こんな状態の自分を肯定的に見られるはずもなく、自分を責めてばかりいて、それがまたやる気のなさを誘発して…という悪循環をもたらしていた。早く、瞬きするのも怖いような痛みから解放されたい。

 

しかしながら、目の痛みには良い副作用が二つほどあった。

 

一つは飲酒量が減った事。痛みの原因は炎症であり、酒は炎症の治癒スピードを鈍らせる。広岡達郎氏は監督時代、怪我を理由に練習や試合を休んだ選手が酒を飲んでいた事が発覚すると、激怒したそうだ。このことを知っていたということもあったが、1番の理由はちょうど酒が飲みたくなる夕刻に目が痛むようになったからだ。さすがの私も今の目の痛みに逆らって飲酒するほど酒が好きなわけじゃないし、酒なしではいられない体でもない。ついつい深酒になりがちな家飲みの安全弁としてはなかなかに有効である。

もう一つは読書量が少し戻ったこと。ここ数ヶ月、電子書籍用に買い求めたタブレットは、完全にゲーム専用機と化していた。ゲームも度を越すと、単なる害悪だ。本を読んだり、映画を見たりする時間は削られるし、麻痺した感覚のまま、かなりの額をゲーム内課金につぎ込んでしまった。パチンコやらスロットやらなら、まだ、リターンがあることもないわけではないが、ゲームという、現実には全く意味をなさない仮想空間に、金をつぎ込んでしまうという、明らかなバカをここ数ヶ月繰り返してきたのだ。ようやくそのことに気がついた。「あの金があれば一体何が買えただろう?何ができただろう?」と考えると、身悶えするほど無駄なことをしたとの後悔が身体中を駆け巡る。さて、ここでもストッパーとなったのは目の痛みだ。長時間ゲームをすると耐え難いほどの目の痛みに襲われるようになったのだ。ちょっとした休憩時間などにはまだゲームに手が出てはしまうが、課金しない範囲に止まっている。そしてゲームに注ぎ込んでいた時間は読書に費やせるようになった。読書できるということはブログのネタも増えるということだ。

 

目の痛みは不快ではあるが、今の生活を見直し、変えていくきっかけになったとも言える。ココロの前にカラダが警告を発してくれたのかもしれない。

 

カラダといえば、先日、数ヶ月ぶりにかかりつけの整体院で施術をしてもらった。コロナ禍で、いかに対策を十分にとっていると言われても「院内感染」への不安は拭いきれなかったし、通勤電車のストレスもトレーニングやラグビーによる筋肉痛もなかったので、施術への欲求も少ないという状態にあったためだ。で、今回本当に久しぶりに、マッサージと針の治療を受けたところ、その日の夜は自分でも驚くくらい、深く眠る事ができた。寝入って、ほんの少し経ったなという意識で布団をかけ直すために目を開け、時計を見たら、いつもの起床時間をだいぶ過ぎていたのだ。実際にカラダに不具合があって出かけた時は、そんなに施術の効果を実感することはなかったのだが、確実に効果はあったのだ。施術してもらっていたからこそ、あの程度の不快感で済んでいたのであり、施術していなければ、もっとひどいことになっていたのだ、ということを改めて認識した。毎週毎週だと、カラダが刺激に慣れてしまう恐れもあるので、二週間に一度程度の通院を心がけようと思う。