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サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

国民共通の話題のタネという地位を失った巨人軍はどこへ向かうのか『令和の巨人軍』読後感

 

令和の巨人軍(新潮新書)

令和の巨人軍(新潮新書)

 

 

令和2年のペナントレース序盤、巨人は快調に勝ち続けている。7/4時点で14試合消化して10勝3敗1引き分けで、2位に2.5ゲーム差をつけて首位。セリーグ各チームと3連戦一巡して負け越しなし。シーズン前には長打力不足を指摘されていた新外国人のパーラが3本ホームランを打ち、同じく新外国人のサンチェスは2連勝。坂本が打たなきゃ岡本が、岡本が打たなきゃ丸が打って打線は絶好調。重信の逆転ホームランやら、増田大の俊足など脇役の活躍も見逃せない。心配なのは投手陣だが、点を取られても取り返す今の打線の勢いがあれば一気に優勝まで突っ走れるのではないか、と巨人ファンとしては勝手に安心している。

 

さて、標題の書は『プロ野球死亡遊戯』というブログが好評を博したことで、プロ野球ライターとして世に出て、文春で同名のコラムを持つまでになった中溝康隆氏による、昭和の終わりから平成を経て、令和の現在に至るまでの巨人の姿を綴った一冊だ。

 

中溝氏は巨人ファンだという。氏によれば、プロ野球の記事を書いてメシを食っていこうと考えているライターにとって「巨人ファン」であるというのは、長い間大きなマイナス要素であったという。巨人というブランドを鼻にかけ、札びらを切りまくって、他球団の主力選手を引っこ抜いて勝つことが得意な球団が好きだなどという人物は、寿司屋で大トロばかりを頼む無粋な客みたいなもの。すでに価値の定まったものを盲信し、自分の判断で新しい妙味を切り開く努力を放棄していると見られるからだそうだ。

 

確かにバカスカ打ちまくる打者、快刀乱麻の投球を見せるエース級投手を集めるだけ集めて、わかりやすい勝ち方をみせるというのは素人受けするが、ライターとしてはその選手の能力を礼賛するしかないから、ライター自身の技量やこだわりは出しにくい。その点、往年の野村ヤクルトのように、一発で局面をひっくり返すホームランを打てるような選手は少なくても、頭を使って、あらゆる手段でチームとしての勝利を求めていく姿の方が、その妙味を描写しがいがあるし、目利きの読み手が、その妙味を読み取ってくれることはライター冥利に尽きるだろう。

 

何より、昭和後期から平成初期までの巨人には「自前のマスコミ」があってその影響力は絶大だった。当時の巨人は、マーケティングで言うところのプロダクトアウトそのものの存在。読売グループという大企業が各メディアの力をフルに使って、「巨人ファンでありさえすれば間違いない」、「巨人ファンは永遠の多数派」という幻想を売っていたのだ。もちろん、実際に巨人は他球団に比べれば、強い時期が長かったので、幻想ではなく、実像であった期間も長いのだが。

 

ところが、元号の移り変わりとともに、市場はお仕着せのプロダクトアウトではなく、各人が各様の嗜好を持つマーケットインの時代に変化していった。各地方に「おらが球団」ができ、地域密着の戦略が実を結んで、ファンは分裂した。いい例が北海道だろう。読売新聞は例年夏に行われる、巨人の遠征のチケットを景品として付けることで、多数の巨人ファンと購読者を増やすというビジネスモデルを長年続けてきたが、日本ハムが本拠地を札幌に移し、営業努力を重ねた結果、今まで空白地帯と言って良い状況だった北海道の日本ハムファンが激増し、札幌ドームは毎試合満員ちかい観客が押し寄せるようになった。従来の「なんとなく巨人ファン」を見事に宗旨替えさせたのだ。

 

加えて、日本中の巨人ファンを落胆させたのが、2002年オフの松井秀喜氏のヤンキースへのFA移籍だ。当時の松井氏は50本のホームランを打ち、打点王と合わせ二冠を獲得。人気、実力共に、日本のプロ野球界において最高の存在だった。その最高の存在が、あっさりと日本球界最高の地位を捨てて、アメリカに行ってしまったのだ。マンツーマンで熱心に指導してきた当時の長嶋監督が読売のライバル朝日新聞紙上に「松井よ、君は日本に残って欲しい」という熱烈なラブメッセージを送ったにもかかわらず、である。「巨人の4番を打ってタイトルを取り、チームを優勝させる」という野球少年の夢が完全に崩壊した瞬間だった。同時に、巨人は日本国民全体の話題のタネとしての地位を失い、商談のきっかけからも、日常の雑談の一場面からも、知らない同士の話のとばっ口からも消えていったのである。で、現在は4番を打つ選手の名前すら、「一般の人」の口からは簡単には出てこないという事態が出来してしまったのだ。

 

もはや、巨人が全国民にとっての普遍的な存在に返り咲くことは難しいだろう。しかし、一巨人ファンとしては、煩わしい「あんなわかりやすいチームが好きなのか?」とか、「どうせ巨人戦しか映らないような田舎から来たんだろ(こういうことをいう関西人はやたらと多い)」みたいな雑音に悩まされずに済む時代が来たとも言える。「金使って人集めをするんだって立派な戦略だし、チーム全体の力の発露だよ」と堂々と言える時代が来たのだ。自らの意図ではないにせよ、マーケットインの市場に入らざるをえなかった、かつての大巨人が今後どのような姿を見せてくれるのか?個人的にもライターとしても大いに興味を持って見続けていきたいと思う。