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サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

近鉄が忘れ去られることは本当に「仕方がない」ことだろうか?『近鉄魂とはなんだったのか?最後の選手会長・礒部公一と探る』読後感

 

 近鉄バファローズが消滅してから早くも15年以上の月日が経った。発足以来、消滅に至るまで、最後まで日本一になれなかった唯一のチーム。あまりにも有名な「江夏の21球」に阻まれた、最初の日本シリーズ出場、翌年の二度目、そして1989年のこれもあまりに有名な「巨人打線はロッテより怖くない」発言で、4戦目以降4連敗を喫した三度目、全て3勝4敗で大魚を逃した。4度目の正直を狙った2001年は投打の歯車がガッチリ噛み合っていた若松ヤクルトに1勝4敗と力負け。

 

私は個人的には親父の代からの巨人ファンなのだが、パリーグでは近鉄を応援していた。「江夏の21球」をリアルタイムのTV中継で観て、夢破れた際の西本監督のなんとも言えない悲しそうな顔が焼き付いてしまったのだ。とはいえ、当時の関東地方のメディア環境では、近鉄の選手を見ることができるのはオールスターか日本シリーズの時のみ。中学生になってからは裏番組の『11PM』や『独占大人の時間』などのエロ番組を観るための隠れ蓑として『プロ野球ニュース』を視聴するようになったため、やや近鉄というチームやその所属選手を目にする機会は増えたが、ポスト西本体制下ではあまり成績が振るわなくなっていたし、何しろ近鉄の本拠地大阪は遠すぎた。

 

だんだん近鉄への興味が薄れていっていた1988年に世の中のアンチ西武の人々ほとんど全ての落涙を誘ったであろう「10.19」が勃発する。当時大学生だった私は、諸先輩方と飲みに行っていて、この、近鉄史上最大の悲劇を見逃してしまった。これは一生のうちのもっとも大きな後悔の一つだ。そして翌年は「ブライアントの4連発」で巨人がどうしても勝てなかった西武を爆死させてリーグ優勝。優勝を決定した試合後の前年の10.19で最後の最後に同点ホームランを浴びた阿波野の涙…。本懐を果たした男の涙ってのは美しいなぁ、と初めて思った。日本シリーズはどっちが勝ってもよかったが、今から考えると、近鉄に勝ってもらっておくべきだった…。

 

この翌年から私は社会人となり、いろんなこと(大学・社会人ラグビー観戦、自分でプレーするラグビー、忌々しいけど仕事など)が立て込んだおかげで、プロ野球そのものへの興味が著しく削がれ、ほとんどどうでもよくなって今日に至る。したがって2001年のリーグ優勝に関してはほとんど記憶がない。タフィー・ローズ、中村紀洋の両大砲を中心とした「いてまえ打線」が10勝投手が二人しかいないという貧弱な投手陣をカバーしきっての優勝だったというのは、後の特集記事などを読んで知った事実だ。

 

そして2004年に選手会ストライキを引き起こし、ホリエモンという怪人物を人口に膾炙させた、10球団への再編問題を経て、オリックスと合併し、オリックスバファローズが発足し、近鉄という球団は消えてしまった。著者元永氏は目まぐるしく変化し続けるプロ野球界において、消滅してしまった球団のことは日を経るごとに忘れ去られていくが、忘れ去ってしまってもいいものなのだろうか?という疑問をモチーフに、近鉄という球団の歴史を詳細に述べ、各時代に関わった人々には、かなり踏み込んだインタビューを行うことで、近鉄という球団が一体何者であったのかについて大胆にアプローチしている。

 

それぞれの人の中にはそれぞれの「近鉄」があり、おそらく何万言を費やしても、その全貌は明らかにはできないだろう。例えば、ホークスのように、親会社が、南海→ダイエーソフトバンクと替わっても球団そのものが存続していれば、ファンはそこにいろんな感情をぶつけることができる。無論、大阪にあった南海ホークスと福岡に行ってしまったダイエーホークスとは別物だ、という考え方もあり、そこでファンであることをやめてしまった方も少なからずいるには違いないが、それでも、ホークスという球団の遺伝子はそこに確実に息づいている。

 

近鉄は「消滅」した。たとえバファローズという名前が残ったとしても、今残っているのはその昔の宿敵「ブレーブス」の流れを汲む集団であり、イーグルスという球団も派生はしたが、本拠地を仙台に移してしまったし、近鉄から移った選手が少なく、新人選手以外は他球団からあぶれた選手が多く主力にいたため、やはり近鉄ファンとしては感情移入しにくい球団だと思う。大阪のそれも中心地から外れた場所にあり、低迷期も長く、球場も汚かった、あの球団を精一杯応援してきた人々の気持ちは、行き場を完全に失ってしまったのだ。

皮肉なことに、近鉄が消滅してから、各球団が地域密着戦略を本格的に導入し、セリーグ優位、もっといえば巨人一局集中という図式は完全に崩壊した。この状況下であれば、近鉄が生き残る術はまだまだあったのではないかと思う。例えばニューヨークのヤンキースとメッツのように大阪を舞台とした、普段の所属リーグは違うものの、いろんな意味で競い合う新しいライバル物語が描けたかもしれない。

個人的には、近鉄という球団の消滅に伴って、縁のある東北地方にプロ野球球団ができたのは喜ばしいことではあるのだが、それよりも「近鉄ファン」という大きくはないが、その分濃いコミュニティーが失われてしまったことは大いに残念だ。ソフトバンクホークス会長の王貞治氏は16球団制を提唱しているようだが、もしそれが実現したら、ぜひ近鉄ファンの受け皿となる球団を創設してほしいものだ。