このブログは基本的に読んだ本を紹介することをテーマとしているのだが、今回のコロナ禍の犠牲者の中で最大のビッグネームと言って良い志村けんさんについて触れないわけにはいかない。開始早々いきなりの反則で申し訳ないのだが、自分自身のケジメとして記しておきたい。
タイトルに入れた「全ての日本人が遺族」というのは爆笑問題の太田光氏が『サンデージャポン』の中で志村さんのご逝去を話題として取り上げた際の言葉だ。確かに志村さんは現在の40代〜60代くらいまでの年代にとっては、その後の行動様式の全てに影響を与えたような大きな存在だ。近所に住んでいて日頃それなりに付き合いのある親戚のオジさんがなくなってしまったようなもの。他の芸能人の死よりもより身近な存在として喪失感は大きかった。本当に身内の人間が亡くなったようなショックを受けた。
志村さんの死後ほどなくして、緊急事態宣言が出され、外出自粛が「一般的」な世の中となったが、その際にレンタルDVD屋に寄って借りてきたのが、ドリフターズの『全員集合』やら志村さん主演の『バカ殿様』。流石に哀悼の意を表す遺族は多いとみえて、ほぼほぼこれらが陳列してあるゾーンはカラだったが、それでも店に行くたび棚を探して、一枚、また一枚と借りて生前を忍んだ。便宜上、↑の商品に代表させているが、その店にある『全員集合』のDVDは半分以上観た。
懐かしかった。『全員集合』のロングコントのオープニングでいかりや長介氏が必ず発する「オーッス!!」という掛け声にTVの前で「オーッス!!」と叫び返していた小学生時代を思い出した。残念ながら中学に入って間も無く、『オレたちひょうきん族』が始まってしまい、ミーハーな私はそっちの方に宗旨替えしてしまったのだが、小学校時代の土曜日をワクワクさせていたものは間違いなく『全員集合』だったし、その中でもやることなすこと全てが面白かった志村さんだった。
ドリフターズの笑いの基本構造は、権力者であるリーダーのいかりや長介氏に、他のメンバーがいかに楯突くかというところにあった。荒井注氏がいた頃の攻撃役はもっぱら加藤茶氏で、彼のボケはそれなりに完成されて面白かったし、荒井注氏のふてくされた演技にも味はあったのだが、志村さんの加入でコントの演技の一つ一つのインパクトもスピードも格段にアップし、爆発的な笑いを生み出すようになった。加藤氏と志村さんのコンビが見せる変幻自在のやりとりにより、対立構造がいかりやvs他のメンバーという単純なものから、志村vsいかりや、志村vs加藤、志村+加藤vsいかりや等々様々なヴァリエーションを生む多層的なものとなり、より高度なものにもなった。志村さん加入後のドリフターズはそれ以前よりも確実に、また大幅に面白くなったのだ。
志村さんは笑いを創り出すためならどんなものからも貪欲に吸収した。今回一連のDVDで過去のコントを見返していたら志村さんが『咲坂と桃内のご機嫌いかが123』をコピーしているシーンに出会った。咲坂守のきめフレーズ「おじょーずぅ」まで取り入れていたのだ。この咲坂守と畠山桃内(演じているのは咲坂が小林克也、桃内は伊武雅刀)コンビの掛け合いというのは、当時最先端のカルトな笑いとして本当に一部のファンにしか知られていない「スネークマンショー」で演じられていたもの。当時小学生の私には当然知る由も無い存在だ。そんな細かいところまで目を配り、琴線に触れれば迷うことなく取り入れる。そういう姿勢がなければ、様々なキャラクターを演じられないだろうし、新しい笑いなんか生み出せるはずはないのだ。
そういう目で、改めて『全員集合』を見返すと、くだらねーとか馬鹿馬鹿しいとかいうのは恐れ多いような気持ちにもなるのだが、観ているとやっぱり笑ってしまう。あらためてコメディアン志村けんのすごさが身にしみるのだ。
面白うて、やがて悲しき〜、では無いが散々笑わせてもらい、DVDが終わってしまうと、本当にとてつもない喪失感に襲われてしまう。笑わせて、笑わせて、最後にほろりとさせるのは日本の喜劇のお約束ではあるが、志村さんの人生が幕を閉じてしまったというエンディングにはエンターテインメント性は微塵もない。時の経過とともに少しづつ、少しづつ、この悲しみを薄めて行くしかないんだろうな。